※文芸ムックあたらよを読んだよ、っていう話です。
以前ご報告させていただいた、受賞作が掲載されている文芸ムックあたらよ、発売になりました。
レイアウトが親切で読みやすく四時間くらいで全部読み終わってしまって、もっと食べたかったなという気持ちになりながらこのノートを書いています。美味しいものは早食いしてしまうタイプで、あたらよも類に漏れず早食い。そんなに焦らなくても誰もとらないのにね、と思いながらも詰め込むように読みました。
馳月基矢先生のインタビュー、なんだか親近感が湧くお話がいっぱいで当たり前のことですが、作家だって人間なんだよなと思いました。公募ばっかりやっているとたまに、作家ってぜんぜん苦労や汗とは無縁の生き物みたいな誤解をすることがわたしはあって、それは読者としてのわたしが作家の顔を良くも悪くもまったく想像しないからなのですけど、作家だってくしゃみはするしつまづけば転んで血を流すよね、と。そういう人間らしい部分を感じて、今まで一切興味のなかった(すみません)時代小説を読んでみようかなと思いました。
エッセイ、短歌、書評について、わたしにとっては今まで全く触れてこなかった分野で新鮮でした。短歌なんかは特に、もうすぐ結婚する婚約者と一緒に肩を寄せながら読んでいたのですが、わたしはこれが好き、と指差したものに彼は首を傾げていて、彼が好きと指差したものにわたしは首を傾げて、という具合で、感性ってそれぞれだね、なんてことをしみじみ話していました。
創作は一万五千字以内の「夜」をテーマにした短篇小説が集まっています。選考委員の先生の小説、とても個性的でダウナーな雰囲気のものもあれば青春のきらめきが垣間見えるものもあって、興味深く読みました。細かく感想、言いたいですけど選考委員の先生の小説に応募者のわたしが物を言うのはなんか違くない? という気持ちもあるのでこのくらいにしておきます。
「あたらよ文学賞」受賞作も、個性的で刺激になりました。一作一作にコメントするとこれも烏滸がましいし、ネタバレになるので控えますが、個人的に好みだなと思う小説が三つありました。そのうち二つはめっちゃ好き、という感じです。でも選考会を見るとその三つが必ず全員から評価されているわけではなくて、やっぱり感性って人それぞれで、生まれ持った気質や吸収してきた物に大きく左右されるんだなとも思いました。だから、何を面白いか、面白くないかは人それぞれでいいんだなと感じ、とてもホッとしました。
わたしは結構あるんですが、世間で絶賛されているものを楽しめない自分を発見すると除け者にされたみたいにがっかりしたり、自分の感性の歪みを突きつけられたようで苦しくなったりします。でも多種多様な受賞作と選考会の議論を読んで、好き嫌いはそのままに、自分の感じたことを大切にしていいんだなと思えました。
ネタバレを避けようと必死になった結果、ぼやっとした感想になったので、わたしが「あたらよ文学賞」に応募したときの話をちょっとだけ具体的にして終わりにしようと思います。
わたしが短篇小説を書けるようになったのはここ一年くらいの話で、それまでは長編小説(しかもライトノベル)しか書けませんでした。ライトノベルもめっちゃいいものが書けるわけでなくて、電撃大賞で三次通過したと思ったら翌年一次で落ちる、みたいな感じでした。そのうち、いろいろあってライトノベルはもう書けないと限界を感じ、文芸方面で書いてみようと思ったのが今年の春くらい。
短篇小説を書けなかった理由について、今振り返って思うのは読んだ量、書いた量が少なかったからかなと思います。小説はサイズ感に合わせたモチーフ選びが大事だと思っているんですが、去年までのわたしはそのサイズ感が掴めていなくて、もっといえば小説の構成が根本的に分かっていませんでした。今もちゃんとは分かってないのですけど、前よりは少しマシにはなったかな、とは思います。
サイズ感を掴むために具体的に何をしたかというと、月に十冊程度読むこと、二ヶ月以内に十万字の長編小説をある程度コンスタントに書くこと、信頼する創作仲間から自分の小説へのフィードバックをもらうこと、フィードバックをすぐさま反映して改稿することをしました。おかげで短かろうと長かろうと指定された枚数で小説を書くということも一応、できるようになりました。
ただ、決まったテーマで小説を書くことはとても苦手だったので、「夜」をテーマにした小説という指定のある「あたらよ文学賞」に応募することは当時、全く考えていませんでした。わたしには無理、って思っていたんですが、TikTokをぼけーっと見ていたらキャバ嬢さんのドキュメンタリーが流れてきて、これなら書けるかもしれないと思い、着想から推敲まで合わせて三日で書いて提出しました。おかげで応募時点ではそれなりに誤字脱字がありました、ごめんなさい。
なぜキャバ嬢さんだったかというと、単純に見ていて生き様含めてかっこいいと思ったのと、他の応募者さんたちは恐らくもっと内向的でしんしんとした小説を書くだろうと(勝手に)予想したからです。わたしみたいに読む人によってはちょっとギョッとするかもしれない、攻撃的な文章で小説を書いてくる人はあんまりいないんじゃないかな、と。結果的に面白い小説になったかどうかは、正直分かりません。わたしの場合はいつもそうで自分の小説に愛着はあれど手放しに面白いと思ったことがまだなく、その小説が面白いかどうかは読んだ人が決めることで書いたわたしにはやっぱり判断のしようがないなと思ってしまうので、皆さんの感性にお任せしたいです。
まとめて、なにが言いたかったかというと、案外人の可能性ってその人が思っているより大きいよねということでした。去年まで「わたしは短篇小説が書けない、ライトノベルしか書けない」と思い込んでいたけれど、そうではないらしいことが今年になって分かりました。
自分には無理、と今は諦めていることでも、来年のあなたやわたしにはできるようになっているかもしれません。それってすごくワクワクします。面白いです。わたしにも今、自分には無理って思ってることがたくさんあります。でももしかしたら近いうちにできるようになっているかもしれません。
来年の「あたらよ文学賞」は「青」がテーマだそうです。皆さんだったらどう書くでしょうか。空や海のモチーフで上手に書いてくる人、いそうです。わたしはきっと、そこでは勝負できないしどうしてもアグレッシブな文章になると思うので、もし書くとすればダイエットの話を書くと思います。青の食べ物って食欲失せるので。
とはいえ、「あたらよ文学賞」はもちろん、すべての公募に対して新しい可能性を発見する場になることを願っているので、わたし個人は参加を控えますが、ますます素晴らしい賞に、雑誌になることを心から願っています。
末尾になりますが、お一人で出版社を立ち上げ、賞を開催し、雑誌を創刊された編集長の百百百百様、本当にお疲れ様でした、ありがとうございました。ますますご繁栄されますように。
また、日頃から応援してくださるすべての皆様に心から感謝を。
わたしもまだまだ皆様と一緒に頑張ります。
それではまたいつか。
文芸ムックあたらよ☟
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