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「ガルデニアの残り香」完結させといた。

書き上がったから予約投稿だけしーとこってしたやつが、今日18時を以て全部公開されましたー、いえー!

ガルデニアの残り香
https://kakuyomu.jp/works/1177354054893716969

キャッチコピー、そういうことかができた(と思っている)のが嬉しい。

ちなみにガルデニアとは、「Gardenia jasminoides」。
ラテン語(古典)読みだと「ガルデニア・ヤスミノイデス」。和訳は「ジャスミンのようなガルデニア」。
梔子(くちなし)の学名である。
なんで梔子なのかというと、花言葉由来ですとだけ。

さて、吸血鬼の設定作らなって思うといっつも頭抱えます。
吸血鬼という概念があまりに広範囲になってるのが原因。
吸血鬼って言った時にどんだけの地域にまたがる「吸血する人型の怪異」を含むのか、という話。概念が先にひとり歩きしちゃって地域性をごっちゃに背負ってる状況な気がしてしかたないのよ。
ちなみに、吸血鬼の設定どないしょ、と思った時にいつも真っ先に思い浮かぶのは、萩尾望都先生の『ポーの一族』のバンパネラです。まあ望都先生だと『ポーの一族』よりは『トーマの心臓』が好きだし、『精霊狩り』三部作や『この娘売ります!』みたいなコメディ路線も好きなんだけど(完全に母親の影響。なおエドガーよりアラン派。『一週間』はカワイイ)
ちなみにはじめての萩尾望都作品は小2の時に読んだ文庫版『半神』だよ、何がなんだか当時は理解できなかったけどちょっと怖くて寂しいなと思ったよ。
……喪失の余韻を好む(今回もまさしくそれ)節があるの、これで開拓されちまったのでは?

以下ただのこだわりのだだ漏れ。

・脳内BGMの話
当初これのプロトタイプ思いついた時には、「サンサーンスの『死の舞踏』(リストのピアノアレンジ版)に合うようなの書きたい」だった。
……はずが、出来上がってみたら、「これリストはリストでも、『愛の夢 第2』じゃーん」となった。
『愛の夢 第2 私は死んだ』、原題『Liebestraum No.2 Seliger Tod』。邦題だと「Seliger」が明確に訳されてないんだけど、「祝福された」とか「恵まれた」、「幸福な」という意味の冠詞無しの時の主格にかかる形容詞の形らしいので、これ「Tod(死)」にかかって、「幸福な死」の方が訳としては正しいのでは? と疑問に思う。
……そういうことだ。

・大好きな言葉の使い方の話
おにいちゃん編最後のタイトル及び本文でやらかしてる「悲し・哀し」と「愛し」(どれも「かなし」)の掛詞的扱い、このネタめちゃくちゃ好き。
「愛(かな)し」は古語だって? いいんだよ、私が好きにやってるだけなんだから……
まあ、もっと感覚的に言うと、私はなぜか「美しい」と「冷たさ」が脳内で同居しがちで、そういう印象になるものは「いい感じ」のもので、同時に「使いたい」ものになるので、つまりはそういうことだ。
やっぱり好き勝手した結果じゃねえかとは思うんだけど、タグに書いてあるとおりなんだよ、やりたいことやった結果のかたまりなんだよ。

・言語とのバトル編な話
そしてこれを書くのに、行われたラテン語と古典ギリシャ語とのバトルは以下の通り。

〜「真実であれ、偽りであれ、薔薇の下で言われた物事は、それによって人の口を閉ざす」とのバトル〜

sint vera vel ficta, taceantur sub rosa dicta
 sintはsumの未完了過去三人称複数で接続法。英語のbe動詞的なやつだから語的な意味は単に「=」。接続法はいろんなニュアンス含む(英語の分詞構文に近い)ので、意味合いはいったん保留。
 三人称複数なのはその後ろの「vera」と「ficta」にかかるから。
 で、「vera」と「ficta」は普通に「真実」と「偽り」のえーと、女性形単数の主格か奪格、または中性形複数の主格か対格……とりあえず、保留。
 で「vel」は英語のor的なニュアンスと「~でさえも」のニュアンスを含むとして、sintの接続法を仮定的意味合いと取れば、「真実だろうと偽りだろうと」っていう意味になるし、最終的な意味合いとしてはこれがいいはずなので接続法は「仮定」として取る。
 その後ろのtaceanturはtaceo「沈黙する、黙る」受動現在三人称単数。受動=受け身なので「沈黙させる、黙らせる」になる。
 「sub rosa」は前置詞subと薔薇の奪格rosaで「薔薇の下で」になって、「dicta」はdico「言う」の受動完了分詞の名詞または形容詞用法になるけど、taceanturが受動で、意味的に「薔薇の下で言われた物事」が人を「沈黙させる」ので、受動相における「行為者の奪格」(英語受動のby 〜)として取るべきで、今回は母音の長短わからんけど、奪格が-a(本来長音)で終わるのは女性形単数なので、形容詞的用法で女性名詞で英語のthingにあたる「res」が奪格で省略されているとみる。この省略はよくある。
 意味から前半の「真実だろうと偽りだろうと」は「言われた物事」にかかるべきとすると、関係代名詞の省略と倒置みたいな事になってて、「vera」も「ficta」も省略された「res」に引っ張られて女性形になってて、そもresは従属文内では主格である、と。
 そして上記をまとめてそれっぽくかっこよく訳すと、
 ⇒「真実であれ、偽りであれ、薔薇の下で言われた物事は、それによって人の口を閉ざす」

……ラテン語は序の口なのである。

〜セイキロスの墓碑銘とのバトル〜

'Οσων ζηις φαινου, μηδεν 'ολως συ λυπου;
προς ολιγον εστι το ζην, το τελος 'ο χρονος απαιτει.

'Οσων ζηις φαινου
 'Οσωνは関係代名詞'οσοςの複数属格で、ζηιςはζαω「生きる」の二人称単数現在。
 で普通に、「生きる」が関係代名詞に対する従属文で「'Οσων」が属格なのは期間の属格だから。複数なのはたぶん、この後の命令文二つにかかるから、かな……?
 φαινουはφαινωの中受動命令二人称。φαινωが多義的な語(現れる、輝く、明るみにする)だけど、先人にしたがって「輝く」と取るべき……だけど受動……いや、これ中動で再帰的意味合いで「自ずから」って意味合いが含まれるか、これ。
 というわけで、「貴方が生きる間は、自ずから輝け」
μηδεν 'ολως συ λυπου
 λυπουがλυπεω「悩ませる、嘆かせる」の中受動命令二人称に「μηδεν」が前にきてるから、禁止=「嘆くな、悩むな」。
 λυπεωがいわゆる形式所相=能動が受動、受動が能動になるタイプで「συ」は二人称再帰代名詞だから、「貴方は悩むな」。「'Οσων ζηις」を受ければ「貴方が生きる間は、悩むな」。
 μηδενが「1つも~ない」で'ολωςが「全部の」だから、「少しも~ない」って意味合いで、「ない」の部分はλυπουにかかって、「禁止」の用法。
 ということで「僅かも悩むな」で「貴方が生きる間は、自ずから僅かも悩むな」。

「'Οσων ζηις φαινου, μηδεν 'ολως συ λυπου;」
 というわけで「貴方が生きる間は、自ずから輝け、そして僅かも悩むな」ということになるので、もっとかっこよくそれっぽく訳すと
 ⇒「君、生くる間は輝きて、僅かとて憂うことなかれ」

προς ολιγον εστι το ζην
 εστιが英語のbe動詞の現在三人称単数だから、この場合「το ζην」と「ολιγον」を「=」で結んでて、
 「το ζην」が中性単数主格冠詞付きのζαω「生きる」の不定詞でたぶん名詞的用法。
 「ολιγον」が形容詞の「ほんの少し」で中性単数の「ζην」を形用するから形としては中性単数主格で、「その生きていることはほんの少し」の意味になる。
 ……って、これ両方とも主格で処理すると「προς」は何に対しての前置詞になるのか(属格か与格か対格支配だけどここまで全部なし)になってくるし、対格として見ちゃうと「~へ向かう」になって、これだと意味が通らないから、後半に支配対象がいるのかな……?

το τελος 'ο χρονος απαιτει.
 「το τελος」が中性単数冠詞付きのたぶん主格の「終わり」で、「'ο χρονος」が男性単数主格冠詞付きの「時間」。
 απαιτειがαπαιτεω「(対価として)要求する」の三人称単数。
 ここで三人称単数になるということは、主語が「時」か「終わり」になるんだけど、先人の訳的には「時」が主語になって「終わり」を「要求する」べき。
 だけど、「終わり」が対格じゃなくて主格なので、となると、冠詞だと思った「'ο」が関係代名詞の三人称単数中性で主格or対格で「時が(対価として)要求する」は「終わり」の従属文になる……のか?あれ、関係代名詞の活用ってどっちに沿うんだっけ……
 んんん、いやいや……ちょっと全体見直すべか。

「προς ολιγον εστι το ζην, το τελος 'ο χρονος απαιτει.」全体
 とりあえず以下はほぼ確定
  ・「ολιγον εστι το ζην」で「το ζην(その生きる)」=(εστι)「ολιγον(ほんの少し)」
  ・「'ο χρονος απαιτει(時が(対価として)要求する)」が関係代名詞で先行詞「το τελος(終わり)」を修飾
 で問題点が
  ・「προς」の支配するべき属格、与格、対格は何か。
  ・「προς」はどの格を支配するかで意味合いが変わる
   (属格「~において」、与格「~のそばで」、対格「~へ向かって」)
 一応、名詞は「ολιγον」、「ζην」、「τελος」、「χρονος」で、「ζην」は不定詞の名詞的用法で「ολιγον」はそれを形容するから三人称単数主格は確実。
 「χρονος」も「απαιτει」の主語になるから三人称単数主格は確実。
 ええと、手持ちの『ギリシア語入門』だと「先行詞が属格・与格だと、関係代名詞が同化を起こしてその格になる場合がある」ってあるから、関係代名詞は後ろに続く文での格になるので、「το τελος 'ο χρονος απαιτει(時が(対価として)要求する終わり)」=「時は終わりを(対価として)要求する」になって「終わり」は目的語だから、「'ο」は対格の方……でも関係代名詞のこれは「προς」には影響ないはず。
 となると俄然あやしいのは「το τελος」で、改めて活用を確認……あ、あ、あああ主格と対格一致タイプ……! 中性だからもしかとは思ったけど……!
 ということは「προς」は今回は対格支配「~へ向かう」で、対象は「το τελος」で「終わりへ向かう」!
 「その生きていることはほんの少し」、「時が(対価として)要求する終わりへ向かう」をうまくそれっぽく格好よく日本語にして、かつ前半の終わりがセミコロン(いろんな意味合いにできる)だから、うまい意味合いを持たせてつなげるなら……
 ⇒「その生くるは刹那にして、時の取り立てるその終わりに向かうものなれば」

ぶっちゃけ、「'Οσων」の複数に対してだけちょっと弱いけど、大体こんなでっしゃろ!!!(ヤケクソ)となったバトル。
まあ、ラテン語にしろギリシャ語にしろ、語彙については、まじペルセウスプロジェクトさん神……基本英語だけど、ラテン語やギリシャ語読解しようとしてんのに英語なんぞにおじけづいてられるか、である。
私の英語のハードルを下げるためのライフハック、「英語以外の西洋系言語を読もうとしてから英語と直面する」だしな!
ちなみに私は古典ギリシャ語よりラテン語の方が(扱いやすいから)好きです。語頭変化は辞書を引く時の大敵すぎる。

こんだけ凝りに凝って作っても、宣伝行為の仕方が1ミリたりともよくわからんですし、作ったら基本満足してしまうというのが私の悪いところだとは思っている。

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