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帯の話

私の職場のあるビルは最寄り駅と直接つながっている。雨の日は傘いらずで大変ありがたいけれど、二年半通い続けても職場周辺の地理に詳しくならないのは少しもったいない。そう思い立って、最近はわざと遠回りして帰るようにしている。

とはいえ、私は生来の日陰者メンタルの持ち主である。美味い小料理屋や洒落たバーを開拓するようなことはもちろんできず、結局近くの丸善に足を運んで本を眺めることがほとんどだった。

私が立ち寄る丸善は大変大きい。四階建てのビル全体が本屋である。本好きにとっては心躍る空間であり、並んでいる本を見ているだけで独特の高揚感を覚える。目的もなくついつい長居して、何冊か衝動買いしてしまうこともしばしばあった。


「……この帯さえなければ買ってたのにな」

広い店内をうろついていると、ときどきそういう本を見つける。せっかく面白そうなタイトルなのに、いい雰囲気の表紙なのに、巻いてある帯を見て買う気が失せてしまうことが何度かあった。

「今話題」とか、〇〇賞受賞とか、何万部売れたとか、そういうのは売るための「お化粧」だからそこまで気にならない。もちろんトンデモない厚化粧には辟易するけど、ちょっとくらいのおめかしは、書店で人の目を引くのに大事なことだと思う。

しかし、「最後のどんでんがえし」とか「感動のラスト」とか、有名人のコメントとかが書いてあるのは苦手だ。親切心なのかもしれないけれど、読む前から中に何が書いてあるか教えようとしてくる帯は好きになれない。

読書の主役は「読者」だ。その人が何を感じ、何を重ね、何を思うかにこそ意味がある。読む前から感想が決まっているなら、お金と時間をかけてまで読む必要はない。内容を10分でまとめた動画を探したほうが効率的だろう。

その手の帯の煽り文句に魅力を感じないのは私が物事をまっすぐに受け入れられない偏屈な人間だからだろうか。別にそれを否定する気はないが。

しかし、浴衣姿の女性同様、本だって高級そうな帯をばっちり巻いて着飾った姿よりも、帯がはずれ、はだけてのぞく素肌にこそ、思わず手を伸ばしたくなるものではないか。それが人情というものではないだろうか。キモいか。キモいな。

そんな卑猥なことを考えながら、私は今日も丸善を閉店間際まで徘徊した。

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