こん、ばん、わー!
勝ったから強気だ。おう。きみたち元気かね。
なにに勝ったか。昨日、あしたは菓子パンだくらい言ったじゃないですか。ふふん。麻婆大根つくったもんね。あとニラがやばいかんじになってたからチヂミ風と、サラダ。つけもの。お茶。味噌汁は二年ほどまえに廃止されました。
……。
ふつか続けて近況ノートってたしか初めてかな?
今日も雑談。
カクヨムにアカウントつくって以来、なんにんかの方に、わたしの言葉づかい、かなの多用について感想をいただきました。ので、なんとなく、話してみようかと。
題。わたしに降りた、司馬先生。
すごいつまんない話だから良い子のみんなはねててねー。おやすみなさい。きょうも、たくさんがんばったね。また、明日ね。
あ、このやつ、明日あたり削除するかもだからよろしくねー。
↑もうちょっと残しとくことにしました
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わたしがいちばん好きな作家が司馬遼太郎だということは、みなさん小学校でならったと思うのですが、ではわたしに憑依……いやちがうな、わたしが背中にはりついている司馬先生のいいまわしを、ちょっと研究してみましょう。
例文(普通の地の文):
彼が立案した作戦が功を奏し、その局地戦は我が軍の圧倒的な勝利で終わった。
わたしに降りた司馬先生:
かれが立案した、作戦。それが、いくさの明暗をわけた。圧倒的な勝利。かれは、そのことを呼びこんだ。
解説:
まず、平易で、誰でも知っていて、かつそのお話に何度も出てきそうな言葉は、ひらがなにします。上の例で言えば「かれ」「いくさ」ですね。一方、あまり使わない言葉だったり、難しい漢字、そして固有名詞はそのまま残します。
なぜ、そんなことをするか。恐らく元々は、朝刊紙に毎朝連載をされていた先生が、ぎゅっと圧縮された長い文章の中で、どうやってリズムをつけるかを意識されたのだと思います。加えて、暖かさ、人物や事件を見る暖かい視線を表現したかったのだと、わたしは信じています。
次に、状況を第三者視点で、愛を以って、説明します。わたしが司馬先生を大好きな一番の理由。あらゆる時代を、あらゆる場面を、すべての登場人物を、愛していらっしゃった。
具体的にはどうするか。現在描写している場面、登場人物が、自分の家族だったと仮定します。その活躍の話、その可哀想だった思い出を、晩御飯の食卓で聴いて、その内容を、親しい人に伝える。その姿勢だと思ってます。
そういう、自分の大事な人の活躍を伝える時に、どうしますか? 「すごい活躍だったよ! ほんとに! こんな感じで、こうやって、こんな、こんなっ!」てなりますよね。決して、「あの人はこのようなすごい活躍をしました!」とはならないですよね。その感じです。
一方で、矛盾するようですが、先生は、熱い描写を避けます。上の例で言えば、「圧倒的勝利……っ!」(あれ? なんか別の何かが浮かんだぞ)とは、絶対にしません。あくまで静かに、優しく、ゆっくりと描写します。その視点は、わたしは、歴史の神の視点だと思っています。
例えば、上の例文の最後、「かれは、そのことを呼び込んだ」は、この文脈なら普通は「かれはそれを成し遂げた」と書きたいところです。しかし、あくまで静かな歴史的な事実の描写、事件の表現として、できるだけ客観的に、かつ柔らかく、書くのです。それが「呼び込んだ」です。
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うえの文章、いつものわたしの書き振りとはずいぶんちがいますよね。みずから司馬しばりを破って書いてみたのです。
でも、まあ。ここまで書けば、出てくるでしょう。司馬警察。歴史警察。そして国語警察。こい。わたしが、どれだけながい時間、このことを自分につみあげたか。わたしの過去が、どれだけの時間、どれだけのよるのなかで、きもちを溜めたのか、そのことをみるがよい。
明日はたぶん、八宝菜にします。こんどは白菜がやばい……。