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    年を取ると記憶は一枚の画に近づく

    「老いはてて彼も汝も誰か薄れ去りいずれ消ゆらし吾の誰かさへ」―。  認知症と言えば、むかし誰かの本で「年を取ると記憶は一枚の画に近づく」と読んだ気がする。あるいは、誰かの話だったかもしれないが思い出せない。いずれにしても、記憶の老年変化についてだった。  ◇テレビのマラソン中継などで「縦一列に…」という表現を耳にする。画面には、大勢の選手が前後にぴったりと続いて走っている。すぐ抜けそうなのにと思うが、バイクカメラに切り替わると数十メートルも間隔があったりする。レンズのマジック。―アナウンサーの乗る中継車には望遠レンズのカメラが搭載されており、これで先頭から後続の選手を撮影すると距離感がおかしくなるのだ。  ◇二十歳の時に人生を振り返る1年間と、古希過ぎてから思い出す青春の1年間が同じ長さではないはず。「光陰矢の如し」というが、時の流れは老若男女に皆等しい。つまり、実際の速さではなく、個々の感じ方である。極超望遠レンズで現在から70年間を振り返れば(一年毎の幅など誤差範囲、と言うか)前後が入れ替わるのは当然だろう。  ◇こういうことを誰かが「年を取ると記憶は一枚の画に近づく」と言ったのではないだろうか、と愚考してみた。

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    コラムニスト(心得)

      妻とふたり健康保険と年金の手続きのため市役所に来ぬ(医師脳)  窓口で説明を受けているうち少しずつ〈無職〉の老いの身を痛感させられる。 「いざとなったら医師免許証は使えるのだから」と強がってはみるものの……。  そこで捻りだしたのが新しい肩書――(心得)付でも憧れの〈コラムニスト〉である。  コラムニストなら、ボブ・グリーン。  さっそくアマゾンで検索し、新品のなかから最安値のものを発注!  ところが宅急便で届いたのは、講談社英語文庫『CHEESEBURGERS』だった。 「ボケ予防になるだろう」と負惜しみで辞書を取り出す。英文の意味は取れても話のツボが分からぬまま読み進む……。 『Cut』野球チームをクビになった少年時代の悲話は心に響いた。  そして自分の悲話二題も思い出す。  青森市立橋本小学校に通っていた頃、クラスごとに野球チームがあった。 「今日も打たせてもらえなかった」と母に話した翌朝、4枚の小座布団が入った袋を持たせられた。四角形3枚のほかに(ホームベースのつもりの)五角形を、夜なべで作ってくれたのだろう。 「ゆきおのおかあさんはスゴイな!」とチームメートは喜んだが、レギュラーで打った記憶はない。  医者になってからは、大学病院の医局対抗野球チームに(女医さん以外は皆)入れられた。胸に〈OB & GYN〉のユニフォーム姿で、バッターボックスに立つ。 「曲げてやれ!」と後ろでキャッチャーが怒鳴る。――サインは出さないの? 「カーブは打てない」と、ハナから読まれていたのだ。それでも数年間は「8番ライト中村君」を続けられた。  誰にだって得手不得手はあるだろう。 「医者でコラムニスト」なんていう人生も悪くはないぞ!

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