稼ぐだけが人生ではないが、稼ぐことが正解化している昨今。どう、お過ごしでしょうか?
書き出しから分かる通り、私は稼がない人生を送っている。極端なお金で人生が成功している人を私は知らないからだ、と言えば「稼いだこともないくせに」と笑いの的だろうが、しかし私は金銭で幸せを買っている人を、本当に見たことがない。
高い料理を食べられれば幸せか。豪華な衣装や小物に囲まれれば幸せか。高級な車を持ち、立派な家に住めば幸せか?
否定はしない。確かに、それは幸せだろう。脳科学的にも社会学的にも、その状況は幸せのベクトルを上昇させる。そして、それだけの物を手に入れられるだけの立場や、能力や、幸運に恵まれた努力を惜しまなかった人であろう事は間違いない。
でも悲しいことに、人は手に入れた状況や状態や、物や立場に一時しか満足し得ない生き物だと、知る必要がある。
では、何に「必要」なのか?
もちろん「幸せな人生」に、だ。
人は常態化する生き物で、そんな能力があったから地球で他の動物より多くの地域で社会生活を作り上げることが出来たのだが、逆を言えば、常態化の能力があるからどんなに大きな幸せを手に入れても、それを当たり前にしてしまえる。
毎日パンを食べられる生活は、それが出来ない人間からは幸せに見えるのだ──というと、「あー、道徳とか倫理の話ね。おつかれさん」と何処かさめたことを言う冷笑系が沸いて出るのが世の中だが、それは目線が少ない馬鹿者の言葉でしかない。
自分事ではないのだ。日本人がどれ程恵まれているのかを知らないから、真昼に暴漢に襲われないから、分からない。
人の構造として、生活が常態化すると、生活レベルを落とすことが恐怖になる。そして、生活の常態化は上向いていた幸せのベクトルを平坦化してしまい、五年前までの生活から見れば幸せのただ中にいるにも関わらず、不満を感じ、不平を漏らすようになる。世帯年収一億円の夫婦でも、子供を産むのを諦めたくなる程に。
特効薬として「自分より不幸な人間を見る」という嫌な奴ムーヴをすれば、一時的に満足感を再び感じられるようになるが、人の満足はそんな程度で埋められようはずはなく、その嫌な奴ムーヴを繰り返せばやはりそれも常態化してしまい、結局五年前の幸せを感じることなど不可能になる。
成功の罪は、ここにある。そしてそれは、幸せを感じにくくなるという罰を、成功者に与えてしまう。
だから成功者の多くは、次の成功を求めて挑戦を続けるのだ。言ってみれば「成功中毒」になってしまう。
もちろん、世の中も、当人も、成功が悪いことだと感じていないし、認識もしていない。これを書く私だって、悪し様に指を向けて「この、悪人めが!」などとは言わない。
しかし、だから成功に毒性があることを、世の中の多くの人は知らないし、知ろうともしないのだ。
まあ、私だって成功を夢見ないことはないが、私の成功は、カフェで静かに珈琲を飲んで、書き物が出来る環境の維持以上のものはないのだが。
結局、幸せは人それぞれだけれど、私は成功の毒性を知って貰いたいという立場である。
毎日の珈琲を幸せに飲むために、私は努力を怠らないでいたい。