イエスは自分の肉体を犠牲にした。
それで、二度目の肉体は無い。
天から下る白石宇井に肉体があるとすれば、メシアの犠牲が無効になる。
その意味で、伊勢に下る霊の御子のヒモロギが必要となるが、鬼はそれを阻止したいのだ。
神輿を地下に封じた理由も、そこにあるのだろう。
「御子を神殿に入れるな」
これは、聖書からの推測だが多分間違っていないと思っている。
資料:
神籬とは - コトバンク
https://kotobank.jp/word/%E7%A5%9E%E7%B1%AC-120935以下資料より
その神祭りの場合のみ神霊の降臨を願うとき、神霊の宿り坐(ま)す神聖な場、またそのしるしが必要となるが、それのこと。
『日本書紀』天孫降臨の条に、天児屋命(あめのこやねのみこと)・太玉(ふとだま)命に天津(あまつ)神籬を持ち降臨、皇孫のため奉斎せよと勅されたとあり、同じく垂仁(すいにん)天皇の条に、新羅(しらぎ)の王子天日槍(あめのひぼこ)が持ちきたった神宝のなかに熊(くまの)神籬一具とあるのをみると、神祭りをするための祭具をさして称することがすでに古くあったかとみられる。
(引用感謝)
聖書では「いちじく」や「ぶどう」などの樹木を「神の組織」に擬えており、その理解が「ヒモロギ」の観念に流れたと考えている。
樹木は枯れる。
それで、最高のヒモロギは、祭りの祭具として伊勢神宮の至聖所に安置されるべき「本物神輿」である。