印象の「印」は「井ノ神」を指す・・・そんな考察だ。
今まで、「世の神」の天下だったから、鬼はあらゆる「印」を悪く印象付けている。
例えば、
【居候】ヰサウラフ
他人の家に寄食する事。またその人。
「井ノ神」は「居の神」でもある。
しかし主各に据えられず、まるで居候の扱いだという角度から考察してみる。
御子もまた、国家の中では「居候」の扱いに甘んじている。
次の諺が示す通りだ。
◉居候、角(かく)な座敷を丸く履き。
まず、「いい加減」という考えが頭に浮かぶだろう。
「いい神」がいい加減?
本来の意味が沈んでいると思った。
別の諺から推測し、昔は良い意味を持っていたとすれば・・・
ヒントはこれだ。
→ 重箱の隅をつつく
これは、Jewの組織内部で、四角四面な律法主義の支配者たちが、民を厳格に支配して泣かせていた表現である。
イエスが民を庇うため、常にパリサイ人や書士たちと衝突した記述を思い出そう。
現代なら・・・
→ 交通規則
御子なら、フカフカの羽で導くのだが、まるでカミソリで切り落とすような支配の時代があった。(昔の話)
主の子供たちは、四角い部屋の中央にある「主(朱)の領域」で暖かく保護されるべきではないだろうか。
→ 日の丸の「太陽」は、丸く掃かれた領域を指す
鬼による捻じ曲がった印象操作に、騙されないようにしたいものである。