• 歴史・時代・伝奇

鬼による印象操作

印象の「印」は「井ノ神」を指す・・・そんな考察だ。

今まで、「世の神」の天下だったから、鬼はあらゆる「印」を悪く印象付けている。

例えば、

【居候】ヰサウラフ
他人の家に寄食する事。またその人。

「井ノ神」は「居の神」でもある。

しかし主各に据えられず、まるで居候の扱いだという角度から考察してみる。

御子もまた、国家の中では「居候」の扱いに甘んじている。

次の諺が示す通りだ。

◉居候、角(かく)な座敷を丸く履き。

まず、「いい加減」という考えが頭に浮かぶだろう。

「いい神」がいい加減?

本来の意味が沈んでいると思った。

別の諺から推測し、昔は良い意味を持っていたとすれば・・・

ヒントはこれだ。

→ 重箱の隅をつつく

これは、Jewの組織内部で、四角四面な律法主義の支配者たちが、民を厳格に支配して泣かせていた表現である。

イエスが民を庇うため、常にパリサイ人や書士たちと衝突した記述を思い出そう。

現代なら・・・

→ 交通規則

御子なら、フカフカの羽で導くのだが、まるでカミソリで切り落とすような支配の時代があった。(昔の話)

主の子供たちは、四角い部屋の中央にある「主(朱)の領域」で暖かく保護されるべきではないだろうか。

→ 日の丸の「太陽」は、丸く掃かれた領域を指す

鬼による捻じ曲がった印象操作に、騙されないようにしたいものである。

2件のコメント

  • ヒロソ様。

    「主の子供=インナーチャイルド」は私たちの「朱の部屋=心臓」で私たちの「イ=自我」によって保護されるのでは無く、保護するのでは無いでしょうか?

    これからの時代は「王を欲する」つまり「他から保護される」たり「他から指示される」時代では無いと思います。

    日々の生活では互いに助け合う必要はありますが、もっとも大切な「御子」は私自身のイによって私自身のハートに保護し育む必要があると思います。

    ただただ救い主を待つという考えは二枚目の洗脳をであると思います。自分の御子は自分でしっかりと守る気概がひつようです。直接神と繋がれるのは、自分の中の御子です。王に助けを求めず、御子にすがらず、御子とよく相談し、御子と共に歩む必要があります。

    私がキリスト教に危うさを感じるのはこの点と、キリストのみを神とし他の神を排除し、神と悪魔を善悪で割りきろうとする単純さです。ヒロソ様も「良いことをする悪魔」につい話されていました。しかし、神は善では無いと思います。神が善悪を創造されたのだと思います。

    善は被造物です。神ではありません。ヒロソ様!気をつけて下さい!聖書のロジックに嵌まりすぎています。聖書のロジックに嵌まると何でも二分割する方向に考えが行きます。これが西洋近代の物質文明の基盤にあることに気付いて下さい。二分割とは二枚目の「二」です。

    奇しくも二枚目の「二」は二枚目の性質を現している的確な表現であると驚きます。何でも二つに分け対立させる、その性質を現しています。一枚目は「一」つまり「不二」ではないでしょうか?

    ただただ救いを待つという姿勢に既に、救い主と私を二分割する考えが潜んでいるように思います。待ち続ける限り永遠に私と救い主は二つに分かれ出会えないというカラクリです。
  • ヒロソ様。

    やはり気になるので重ねて失礼を承知で書き込みます。お父様を助けたと思われる「お狐」についてです。

    キリスト教系の考え方だと神よりはるかに劣る獣と軽く考えると思います。しかし「怖いのは人間」という言葉を良く耳にしませんでしょうか?つまり幽霊より生きている人間の方が怖いと言う事だと思います。私達に直接危害を加える事が出来るのは幽霊より強盗ではないでしょうか?

    「お狐」について語るなど下等だと言われかねませんが、実際に存在している以上無視は出来ません。獣の中にもいち早く進化し、知能と人でも持てない通力を持つ存在もいるという事実があります。正直「お狐」は私には手を焼く事もあります。

    しかし、嘘つきな人間以上に献身的に神に使え、身を呈して人の命を助ける事もしばしばです。私達にその働きが見えないだけです。日本のキリスト教徒のなかには、実際には先祖の縁で「お狐」に助けられながらキリストに助けられたと思っている人が多いかと思います。

    「お狐」というと馬鹿にする人が多いのですが、その罰バチは一番執拗で残酷です。何故なら神のように高尚では無く「獣」だからです。おまけに生ショウつまり肉体を持っています。羽田空港の鳥居など有名であったと思いまが、人の起こした戦争で行き場を失った「お狐」が鳥居にしがみついていた哀れな姿です。生がありますので「行き場を失う」ことが多々あります。ヒロソ様のお父様は「お狐」=屋敷稲荷を置き去りにして引っ越すなどという事はありませんでしたか?

    「家族が鬼に襲われた」とありますが、それは「お狐」だったのではないでしょうか?また、氏子で無くなった事により鬼につけ込まれているように感じます。お父様と「お狐」の関係を良く思い出して見て下さい。高尚に考えるのでは無く、例えばご近所トラブルで恨まれたという類いのレベルで・・・「お狐」にしてみれば命を助けたと言いそうですが・・・探って見て下さい。

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