人々は、人情物の芝居が好きである。
事細かに感情の流れを演じるから、観客も喜怒哀楽の波に揺れ動く。
しかし鬼は「冷血」であるためそれを理解せず、事務的に伝えて終わりとする。
聖書中で、鬼の風が吹いている部分では、人の心が凍ったようになっている。
鬼の尖兵として使われている時、選民もその指導者も心が鬼になる。
ホレブでのモーセは「前の神」の恐ろしい剣幕の風に心が冷え、仲間たちを冷徹に粛清した。
勿論、戦記などに感情を織り込むことは出来ないが、平時でも説明があまりに簡素な部分も多い。
■鬼にとって感情表記は面倒
鬼の鬼たる由縁はここにある。
サタンがよく使うセリフがこれだ。
「革を剥げ」
例えば、心を覆う神の衣を取り去ってしまうと、一瞬の風で冷え切ってしまう。
彼は、自分でも不思議なほど冷徹な態度を示すだろう。
人はその状況に気付かない。
相手の人情に訴えているのに、「規則ですから」と突き放す態度もそこから出ている。
規則最優先という罠は、あらゆる人に仕掛けられている。
先人が言う「妙な風」は、肌身に感じない。
しかし敏感なら、「人情抜きの違和感」を通して、鬼の風が読み取れるはずである。