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聖書の「白」と「黒」

最近は多彩な色のペンがある。
しかし、「白色」のペンは?

修正インクはあるが、それで文字は書けない。

だから多くは「黒」か「青」を使っているだろう。

中途半端な色を渡すと、こう言われる。

「もっと真っ黒なペンはないか?」

これと同じで、必要だから「黒」があり、必要だから「白」もある。

「区分する役割」を果たす色彩は、善悪の意味を持って生まれてないのだが、便宜上使われているのである。

「白黒つけよう」

「分類しよう」という意味に、罪悪感を重ねるのは少し違う。

夜が無いと生物に支障を来すのと同様、「白黒」は区切りであって単に象徴だと考えよう。

創造主は、始めに天と地を区切り、昼と夜を区切った。

→ 区切りである


創世記1 章
1 はじめに神は天と地とを創造された。
2 地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。
3 神は「光あれ」と言われた。すると光があった。
4 神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。
5 神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。


4節に「神はその光を見て良しとされた」と書かれている。

しかしそれは「うまく行った」という意味であり、

そこで「善悪」など告げていない。それで、「善悪」判断まで付与するのは「鬼の勇み足」でしかない。

2節に「闇が淵のおもてにあり」と書かれているので、一つ間違うと、「神は最初に『悪』を作った」…となってしまうからだ。

鬼は「神の振り」をするし、聖書の随所にその言葉が「振り」と伴に登場する。

騙されてはならない。

神による善悪判断は、外見に基づかない。

それを強いるのは「鬼神」なのである。

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