イサクの妻であったリベカは、
ヤコブを「贔屓」にしていたが、
エサウを嫌っていたわけじゃない。
この配慮は、考え抜かれたものだと思うようになった。
「身のためになる」とか
「ならない」とか考えたなら、
エサウが選ばれなかった結果は、エサウ自身のためでもあった。
なぜなら、エサウを選ぼうとした神は「赤い神」であり、エサウには人類支配の先棒を担がせようと思っていただろうから。
「赤」というヒントは、そこまで我々に教えているのだ。
「赤い神」(つまり赤い龍)は、人類支配に配下を必要としており、現在は「砂の民の上」に立って使役している。
それが実は、「砂上の楼閣」なのである。
「岩の上に建てた家は崩れない」
「しかし、砂の上の家は崩れる」
それがイエスの予言であった。
イエス(シロの主)は選民を「雛鳥」のように羽の下に庇う存在。
そして、創造主とのクッションになってくれるから、我々の祈りもうまく伝えてもらえる。
ならば、岩ノ上に家を持つ我々は、白いクッションである「母の神」に祈るべきではないだろうか?
私はそう思うのだ。