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躓き転んでも

「鬼の行為は裏目に出る」
それが私の信条となっている。

過去に多くの失敗をしているが、
それによって鬼の存在に気付いた。

偽善の鬼だった。

カルトを脱したのも経験の一つ。
イエスが告げていた話を思い出す。

「私に躓かない者は幸いである」

道(人生)の途上に「石」があって、それは「イエス」を意味していた。

但し、引っ掛かったのは「二枚目」の石。

これに躓き、転んでしまった私は人生をそこで費やした。

これは「コロンだ」というべきか。

英語の「:」(コロン)、つまり「切り離す」という表現は、「転んだ人」に適用される。

彼は今までの環境から「切り離される人」となる。

事実、知人・親兄弟から切り離される形で、ある種「変人」のように思われた日々を過ごした。

ふとした切っ掛けで、そこを出られたのは幸いだったが、いろいろな意味でイエスに躓いたと知る。

「教えが矛盾だらけ」

幸福を説いてはいるが、内部の人は不幸を隠して生きている。

しかしそれが、「二枚目の仕業」だった。

鬼は人の頭を凍り付かせ、重要な事柄を[コロッ]と忘れさせる。

役立たなくなってから解けるのだが、これも攻撃の一つである。


 ■達磨さんが転んだ

イエスの弟子トマスも、インドへの転びがあり、切り離される人生を進んだが、日本に多くのヒントを残しれくれた。

「コロンでもただ起きない」

それは私も同じ。

経験を逆手に取って、「鬼の支配する世(夜)」の裏側を、陽の光に引き出す一助になればと願っている。

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