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幼少期の枠暗示

暗示の力は恐ろしい。
それは、無意識の領域で働いている。

「お前は駄目な奴」

そう言われて育った子供は、
大人になっても「駄目」が続く。

こんな話を知っている。

赤ん坊の時、山に捨てられ狼に育てられた二人の少女が人々に「救助」された。・・・しかし彼女たちは「完全な狼」になっていた。

決して人間への再教育を受け付けず、狼のように行動し、狼の寿命で死んでしまったという。

ここからも理解出来るだろう。

「環境」が子供を「枠」に入れるし、それは一生続くのである。

周囲の大人からの言葉と「脳波」が影響しており、その子は「取り巻く大人」が考えている通りの『限界』を身に着ける。

社会でも学校でも、そうした「空気」が取り巻いており、「常識」という枠に人を閉じ込めている。

「当たり前」という定義は恐ろしい。

ちらりと話したかも知れないが、探検隊が未開地に行くと「100発100中」を常識とする部落があり、大人から子供まで弓の達人であった。

遠くの鳥を撃ち落とす。

一発も外さない。

「当たり前でしょ」

・・・つまり人間は、自分たちで限界を決めているのである。

それは言葉にならない「波動」のような形で人を共振させ、限界と逸脱を分けている。

この「常識」は、人類を教育した「初期の神々」が定着させたものだ。人を都合よく支配するために。

聖書に、こんな『神の呟き』が書かれている。

「・・・人の寿命は120年にしよう」

狼少女は狼社会での寿命となったが、人は『神』が決めた人間寿命での老化と死を受け入れる。

こうした『常識』の縛り枠を何と表現すべきだろう?

それは意識に取り込まれたある種の『波動』であろうと、今は考えている。もし別の波動に切り替え出来たなら、限界は突破可能というわけだ。

「幼少期の枠暗示」や「鬼の流し込み」をどのように脱するのか・・・それを知るべく、今も模索を続けている。

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