「鬼が神に化ける」
これを想定しないのは危険。
偉そうな事を言う私も実は、
危険の中に暮らす人々の仲間だった。
キリスト教は「悪魔」という敵を想定しているが、「はっきり目立つ相手」として定義している。
宗教画にもそれが反映され、醜悪な見た目が強調されている。
ところが、
本当に危険なのは整えられた相手であり、感触や見た目では見破れない。
「偽善者」という言葉は知られているが、あまりにも対処が手薄なのだ。
「油断するな」という先人からの教えは、「光を絶やすな」という意味だけでなく、「油は高く売れる」という示唆もある。
「貧乏に落ちている人」は「油切れの状態」なのだ。
これも鬼からの攻撃であると読む人は少ないだろう。
まず、鬼退治をしなければ、そうした地獄の中から出ることは難しい。
→ 鬼がビジネスの邪魔をする?
逆に考えよう。
悪魔に魂を売った人は「繁栄する」というのである。
実際、そのような例をいくつも知っている。
だから、鬼の仕業を見破った人に「鬼からの風当たり」はきつい。
何をやっても「積んでは崩され」の状態かも知れない。
ならばまず、「鬼退治」が先決。
この想定を飛ばす危険は、国家破綻にも繋がる。
日本はそれを経験している。