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ういの奥山

「うい」と聞けば思い出す。

有為の奥山今日越えて・・・

いろは歌だ。


【有為の奥山】
うゐ・の・おくやま
この世が無常であることを、道もなく越えにくい深山にたとえた言葉。「いろは歌」の一節。
(資料Weblio)


「有為」は仏教用語で
「様々な因縁で生じた現象」や存在を指している。

「絶えず生滅し無常である」と説明されているが、「ういの奥山」がそうした場所であるという解釈は、もちろん「いろは歌」が意図するものではない。

「宇井」は姓名にもある。
「羽衣」も「うい」。
雨の気配や人生の疲れ(憂い)など、多くの意味が重なってしまうが、後ろにこの言葉がある。

→ 今日越えて

例えば、宇宙の井戸の水を一杯飲めば、「今日(こんにち)の憂いを超える」という示唆もある。

「奥山」は、宗教的な奥義を連想させており、登りたい山だ。

いろは歌は、なぜここまで深い意味を込める事が出来たのだろう?

それは、「ロゴス(言葉)」と呼ばれる創造主の右位の存在が、監修しているからではないだろうか?

つまり、
「終わりの日への準備」として
・・・

私には、そう思えてならない。

9件のコメント

  • ヒロソ様。

    なぜか「ういの奥山」つまり「宇井の奥山」は「山越阿弥陀」のイメージだと思えます。だからと言って「阿弥陀如来」への信仰を進めている訳ではありません。

    日本において、民衆が預言者や聖書を頼らずにキリストを見いだした事を強調したいのです。・・・もちろん、二枚目よりも先に御本尊様(復活のキリスト)が日本に上陸した事もあります。・・・しかし、日本の民衆は二枚目に騙されませんでした。そして「阿弥陀如来」への信仰は一番に民衆に浸透したことは注目に価すると思います。

    いろは歌もロゴスが監修したというよりは、日本人がロゴスの影響を受けて出来たもののように感じます。日本人の感性がロゴス=キリストを様々に受け止め、日本の文化のなかに浸透させているように感じます。
  • なるほどと思いました。

    出雲大社の本殿は西向きになっていますが、それは彼らが西の浄土である山の彼方のエルサレムに心を残していたからでしょうか。(以下私見)

    西には消え去った故郷があって、救世主はそこに来るはずだと・・・

    ですが、メシア到来を経験した伊勢の集団が流れ込み、故国での詳細を伝えて、メシアは去ったと告げていたでしょう。

    それに拘ると、沈みゆく夕日から出現した二枚目に目を向ける形になるのでしょうか。

    東に向かってご来光を待てと教えられ、「救いは東から」という頭に切り替わった結果の国譲りだとも思えます。

    日本の東には海があり、海は諸国民の領域なので、現在アメリカから救いの音信が届いているのも朝日の救いに合致しています。

    宇井の奥山に登れば、いち早く朝日の顔に出会えるのかも知れません。

  • ヒロソ様。

    柳宗悦の「妙好人論集」(岩波文庫)に「真宗」について、宗祖親鸞上人が自ら標榜した如く「非僧非俗」つまり「在家仏教」を建てた事に本来の面目があり、多くの妙好人を排出したと力説しています。

    しかし、本来「真宗」に必要のない「寺院」と「専門の僧侶」があるのがおかしいと述べ、「専門の僧侶」達を「非非僧非非俗」と避難し、僧侶でもなければ俗人でもない、法主とその一門たる御連枝はは貴族階級に属し、信者達の篤信の上に胡座をかき天皇よりも贅沢な暮らしをしており、僧侶の存在自体が矛盾である、今こそ「真宗」は法主から寺院から、そして僧侶、世襲から解放されるべきだと説いています。

    この辺りはキリストと教会と(世襲ではありませんが)法王の関係を述べているように感じます。「真宗」について語っているのに、まるで、キリスト教会について語っているように見えます。つまるところ「阿弥陀如来」信仰も二枚目に乗っ取られたように思えます。
  • ヒロソ様。

    「阿弥陀如来」の信仰・・・寺院という集金組織・・・も二枚目に乗っ取られたように思えますが、日本の場合は二枚目が乗っ取ると衰退に向かうようです。二枚目は日本人には人気が無いと見えます。結果、伝統的宗教全体が衰退してしまったようです。

    しかし、おりよく信仰の時代から認識の時代に変わる時です。寺院や教会という二枚目に汚染された組織から開放された、新たな妙好人が出現する事を願います。
  • そうですね。
    日本ではまだですが、海の向こうには出現しているらしいです。
    日本から東を向けば噂が聞こえます。

    過去にあった日本への約束は、「後ろ神」からでしたが、それは背後(西)から向かって来るようです。

    これは私見ですが、「最初の者が最後になる」というイエスの約束は今、弥勒としてアメリカに到来している「シロ」が果たしてくれるのでしょう。

    ホワイトハットの「白の帽子」は、その象徴なのでしょうか。

  • ヒロソ様。

    ・・・弥勒としてアメリカに到来している「シロ」・・・の意味を、もう少し詳しくお話いただけないでしょうか?
  • 「シロ」は、息子のユダ(ユダ族)に向けて語られた選民の祖ヤコブの最後の言葉にあります。


    創 49:1 ヤコブはその子らを呼び寄せて言った。「集まりなさい。私は終わりの日に、あなたがたに起こることを告げよう。

    創 49:10 王権はユダを離れず、統治者の杖はその足の間を離れることはない。ついにはシロが来て、国々の民は彼に従う。


    世界を包括する話が「終わりの日」を意味しており、それは全世界がネットで繋がった今の状況です。

    息子のユダから広がった民は、ユダヤ人ですが、勿論、本物でなければなりません。

    世界への王権を秘めた彼らは、夜の神から目の敵にされます。

    この神は自分が作ったイスラエルを通して密かな攻撃を続けるのです。それが、終わりの日まで続くでしょう。

    「シロ」は日本人だけに理解出来る名前で「白」や「城」の意味だと思われます。

    本物ユダヤにしか「シロ」と「白」が繋がらない状況になっているわけですね。

    「白(ホワイト)」がアメリカで強調されているのも、王権を秘めたユダ族が日本であるという神からの開示を含め、白い勢力には伝えられているでしょう。

    黙示録の「白い石」は、「シロの意思」でもあるため、それを受けた寅さんは日本に敬意を示してくれているのだと思います。

    日本の「ヨシュア」がドロドロに汚れているにしても、その職服は着替えが用意されているようです。

    日本は別の王家(神の僕)に切り替わるかも知れないと思ったりしています。

  • 「弥勒」は、ご存知のように未来仏で、遠い未来に人類を救いに来るとされていましたが、

    それを伝えたのはインドに出向いたイエスの弟子トマスだと考えられます。

    「繋いだ」というべきでしょうか。

    「567」という数字は年数より状況に当て嵌まると読んでいました。
    (コロナ禍です)

    これも日本人の脳でしか納得できませんが、その頃、太陽の御子の張り出しが始まった(盛んになった)と読み取りました。

    天と地の攻防戦は、白組が勝利すると決まっているようです。

  • ヒロソ様。

    ありがとうございます。職服とは魂が宿る肉体を指しているのかもしれません。となれば、仰ると通り、いまのところ血筋はドロドロに汚れています。別の血筋に変わる可能性は大です。悠仁親王殿下はその為の布石と考えられます。
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