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弟子を生かす主の時代

武士道の精神は「死ぬ事」だった。

靖国には、その精神が満ちていた。

それは、イエスの精神なのか?

確かにメシアは命をもって人類を贖ったが・・・

命を支払う時、一枚目イエスは、こう望んでいた。

→ 弟子を生かす事


当然「贖い」も、人類を死なすためじゃなく生かすためのもの。

一枚目の主が戻ると、弟子を死なせる冷気を送り続けた二枚目の精神が消滅し、

弟子を生かす暖かい風が吹き始める。

あらゆる物事が、そうした方向に切り替わるだろう。

それに期待して、この日々を乗り切ろう。

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