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過去作のあれこれ④

グラスにコーラ入れてそこにアイスぶち込めばフロートになるじゃん!と思って入れたらありえんくらいの泡が湧き出て机がびしょ濡れになりました。科学の成績は「1」だったので理由はいまだにわかりません。ほんとにすごい量の泡でした。

そんなわけで過去作のあれこれをどれこれするのも今回で四回目になりました。
本当はもうちょっと後でもいいと思ったんですけど、さっきまで現在連載中の雨宿りのフリをしたを書いていて、一話だけ書き終えたんですけどなんかまだ字書けるなーって思ってたまには近況ノート更新しようと思いの所存のぞんでございます。

で、いつだったか言った通り、今回は『働く私と彼女の同棲』についてそれほれしていこうと思います。

この作品を書いたのは二年ほど前でしょうか。私の長編小説④作目です。ちょっと小説の書き方を覚えてきた頃ですね。ただ当時は台詞の使い方がよくわかってなくて、相槌の「え」「あ」「うん」とか「・・・・・・」をめちゃくちゃ多様していた印象があります。いや上手に使えばいいんですけどね、当時の私はあんまり上手に使えてなかったです。・・・・・・っていうのを読み返してて思いました。
ぶっちゃけ今の私もまだ小説の書き方なんてものを試行錯誤している最中なので、この創作価値観もすぐぽろっと変わるんでしょうけど。

そんな今とはだいぶ書き方の違う作品ですが、書くきっかけはあれですね。年の差でも書いとくか~くらいのノリですね。最初は先輩後輩にしようかなと思ったんですけど、仕事ものが書きたいという欲もあったので、結果、社会人と高校生の同棲モノになりました。
最初は方向性に迷ってて、どういう作品にしようとか特に考えず見切り発車で書き始めました。私はこれまでの作品全部見切り発車なので、この作品も例外ではなかったわけです。

ただ茉莉の性格は最初から決めていたので、本編を書いている間に勝手に物語が膨らんでいたっという感じです。よくキャラが勝手に動く、なんて作家さんは言いますが、うお~これか~と当時は感動していたのを覚えています

澄玲に関しては、特に考えていなくて悩んでいたんですが、丁度書いていた二次創作のお話によさげなオリキャラがいたんでその子を引っ張ってきました。

https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=14043093

この作品なんですけど、これに出てくる「すみれ」を本作にも使わせてもらったかんじですね。
よく見ると話の方向性や、結末なんかもすでにこの二次創作の時点で決まってたっぽいですね。いわば原点でしょうか。なんかはじめてまともな裏話みたいなのできた気がします。

そんなこんなで進んでいった作品ですが。書いているときに気をつけていたのは「優しい物語」にすることです。これまでの作品が結構皮肉めいていて、愚痴を吐き捨てているようなものばかりだったので、本作では吐き捨てるだけでなく、それを拾い上げてくれる誰かが必要だなって思ったんです。

茉莉の性格はなるべく、誰もが抱えているような、共感できて、なおかつ、中々変えることが難しいものにしました。
大人ってなんなんだろうっていう思いは誰もが抱えたことのあるものだと思います。それから仕事に対する意欲、家族との距離感。そんなようなものを全部一人で抱え込んでくれたのが茉莉です。いろんなもん背負わせすぎちゃったね。ごめんね。
でもそのぶん、人間らしい人間になったと思います。

本作は百合要素があるかと言われたらありますが、たくさんあるかと言われたらそんなにないのかな?とも思います。
正直書いているときは百合作品ということはあまり意識せずに、お仕事もの、ヒューマンドラマ、を意識していました。
茉莉の変化を如実に表現できたらなんて思っていたので、途中百合であることを忘れてました。
そんなわけでところどころ、急いで百合要素をぶち込んだのを覚えています。

物語中盤で出てきた『彼女』もその要員です。ぱっと思いついて、ぱっと登場させました。そこで茉莉の過去も考えて、ちょっとエッチな感じにしました。でも、過去に体の関係を持ってたってシチュよくないですか?私は良いと思います。
辛いこともあると思いますが、それを受け入れていたのは自分だし、そんな自分の弱さを振り返るれるので、良いと思います。良いですよね?

あとこれはショッキングな内容になるかもしれないのでごめんなさいなんですけど、本当は澄玲は途中で死ぬ予定でした。というか私のPC内にある原稿では死んでます。二次創作内でのすみれも死んでますしね。
茉莉が途中で「人が死ぬくらいたいしたイベントじゃない」と発言していますが、これは澄玲の死亡フラグ用の台詞でした。
人は突然死ぬんだから言いたいことくらい黙ってないで言え、みたいな話にするつもりでした。
優しい話にするつもりが、なにをやってるんでしょうね。

話を変えたのはカクヨムでさあ投稿するぞってときです。なんか違和感があって、ここで澄玲が死ぬのは読んでくれてる人誰も望んでいないんじゃないかなーって思って急いで改稿しました。
なので終盤、ちょっと駆け足になっちゃってますね。でもそのおかげで、また別に素敵な話にはできたのかなって思います。

そんな感じの、誕生秘話的な、奴です。

それから、この作品は私の初めての書籍化作品となります。
書籍化っていっても、他の作品と変わらず、「誰かが好きになってくれて、誰かが応援してくれて、誰かが声をかけてくれた」ってだけなんですけど。それでも私の中では思い出深い作品になりました。
茉莉と澄玲のことは死ぬまで忘れないと思います。私が死んでも誰かが覚えていてくれたら嬉しいです。

書籍化作業とか、そういう話は、需要ある、のかな?私が勝手に思ってるだけなんですけど、たぶんないのでざっくりと。
一番大変だったのは。著者校正作業です。なんか校正さんが書いてくれたテキストに赤ペンで丸つけたりするやつです。はじめてやりました。頭を悩ませました。でも楽しかったです。貴重な体験ができました。

そういえば書籍とWeb版との違い。みなさんは気付きましたでしょうか。
澄玲の口調が変わっています。感情的ではなく、年相応の落ち着きのある言葉遣いになっています。これは澄玲が感情的に動くような子ではなく、人の気持ちを咀嚼してしっかりと考える子だからです。
それからさきほど話した「・・・・・・」「あ」「うん」「え」などの台詞を削りました。もちろん全削除ってわけでないです。ただ上手に使えていなかったので、テンポ感を意識して、違和感のある箇所だけ削っていきました。
あとは本当に細かい箇所。言葉遣いとかです。

あとは加筆エピソードでしょうか。
書籍版では澄玲のエピソードが二つ、新しく収録されています。
編集さんから、澄玲視点の話をいくつかどうでしょうと言う提案があって、改稿のときについでに書き下ろしました。
編集さんはすごくわかりやすく教えてくださって、そのうえ物語は著者のものなので、著者の意見をもっとも尊重するという姿勢を終始貫いてくださり、本当に頭が上がりませんでした。で、私も私でプロの意見に従ったほうがいいに決まってるって思ってたので打ち合わせのときは「はい!そうですよね!はい!もちろん!はい!そうします!たしかに!やります、ハイ❗はいぃ~!」って感じでした笑

このあたりは話すとキリがないのでこの辺にしておきます。

そんなわけで『働く私と彼女の同棲』は私の中でもとても思い入れの強い作品になりました。それは別に私の中でなにかがあったというわけではなく、たくさんの人に読んでいただけたという事実から、そんな風に思うことができました。

たまに作品を書いてるときに、「アカン・・・小説書くの辛い・・・・・・これあんまり面白くないかも・・・・・・消すか?」とかヘラるんですけどそういうときに読者の方が「おい!読んでるぞ!いいから書け!」と言ってくださる(拡大解釈)とまた書く元気が出るってことがあります。私だけでなく、作家さんや、もちろんその他の何かを頑張ってる方は全員そうだと思います。自分の中から生まれる元気と活力って限界がありますしね。
それに自分の作品って、自分じゃ価値を見いだすことができないんですよね。読者の方が面白いって言ってくださって、はじめて面白い作品になるんです。
だから本当に、作品って一人じゃ作れないんだなーと、書籍化作業をしながら思ってました。

それから、今後はどうしようとか、自分と向き合うことができたのもよかったと思います。
元々小説を書き始めた理由って、まぁ人に言うのも憚られるくらいしょうもないきっかけだったんですけど。
小説を書く上での目標が「小説を上手くなる」だったんです。だからいろんな作風に挑戦したりとにかく数書くみたいなやり方で書いてました。
でも、私がこの小説というものでいったい何をやりたいのかと再度考えた結果・・・・・・よくわかんなかったです。なんで小説なんて書いてるんでしょうね。自分でもわかんないです。

ただ、字ってなんかこう、自分の体の中に溜まっていっちゃって、妄想とかしてるとか、よく溜まるんですけど、それを吐き出さないとなんか精神おかしくなるんでそれを防ぐために書いているのかもしれません。
現に今も、文字が頭の中に溜まりすぎてて気持ち悪くて寝れないので近況ノートを使って解消してる、って感じです。

なので自分の中に溜まっていくモノを発信して、それが誰かの目にとまって、私と同じような気持ちになってくれたらなって思います。同じ気持ちを味わえ。道連れじゃ。そんな感じでこれからも頑張っていこうかなと思ってます。

明日死にますって言われても「もう書くのないですもういいです早く楽にしてくれ」って言えるくらい、たくさん書いていけたらいいな。
書いていくぞ!

そんな感じで精神不安定になるのでそろそろ寝ます。明日には小説辛い、書きたくないって言ってます。そういう繰り返しの中でこぼれ落ちたものが小説なのかもしれません。

これは余談なんですけど

大人とはピザポテトを一袋食べきれない人のことを言うらしいです。
みなさんはもう大人ですか?
私はとっくに大人ですありがとうございました。




あ、忘れるところでした。恒例のお気に入りシーンの抜粋をして終わろうと思います。
それではまた。




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「どっちかが傾いたら、どっちかが支える。だから泣くことを我慢しない、変なことを恥じない、自分を卑下しない。もし折れそうになったら、私に寄りかかればいい」

 澄玲の涙の理由を、私は知らない。だけどこれから掘り起こそうとしたところで躓くだけだ。別に硬い鉱山めがけて振り下ろす必要はない。

 ずっと一緒にいれば、いつか地表はすり減って本来の色が見えてくる。そんなもどかしさやいじらしさがあるからこそ、人に惹かれて、好きになるのかもしれない。

「遠慮しないでいいよ。息苦しいから」
「まつり・・・・・・」

 私の胸の中で、くぐもった声が聞こえる。

 澄玲と出会ったばかりの時も、確かこんなことがあった。

 母親を亡くした悲しみに打ちひしがれる澄玲のそばにいて、ただ泣いている姿を眺めていた。 

 あの頃はそばにいるくらいしかできないと思っていたけど、実のところ。そばにいられるというのは幸せなことなのかもしれない。

 こうして触れられる。声をかけられる。気持ちを通じ合えるのだから。

「澄玲、好きだよ」
「うんっ・・・・・・すみれも、まつりが好き」 

 折れた枝同士が支え合うように、肩を寄せ合う。

 外の桜は、もうじき開花し世界に彩りを咲かせる。それでも、どれだけ綺麗だとしても、いずれ一つ残らず散ってしまう。

 だからといって悲観的になるのは時期尚早だろう。

 終わりばかりが終わりじゃない、なんて変な話だけど、私はそう思う。

 あれだけ降り積もって鬱陶しかった雪はすでに景色から消えている。あれだけ視界と心に巣くっていたのに、もはや思い出が霞んでいくようだ。

 けど、雪解け水というのはどんなものよりも透き通っている。純一無雑なそれが、地に落ちて、今度は綺麗な桜を咲かせる。そうやって巡り巡るのを季節といい、そんな時間の経過を人生というのだ。

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