寒くなってきましたが、こたつの中のみなさまは大丈夫でしょうか。
この冬、一番気をつけなければいけないのは寒さではなく温かさです。ガチガチに凍るより身動きがとれなくなってしまいます。
でも私はこの季節が好きです。冬の乾いた空気とか、暖房の効いていない部屋や廊下に出た瞬間の引き締まるような冷気。年末に近づいていくにつれ彩られていく町並みに浮ついていた足取り。クリスマスには美味しいケーキを食べて、それが終われば年末年始、一年を締めくくって、大晦日は合法的に夜更かしをする。鳴り止まない通知・・・・・・なんてものは幻想で通知なんてさっぱり来ませんが、少数の、仲が良い人たちから届くラフな挨拶。
そういうのが好きなんです。
冬になると職場の人によく、「はたさんが元気になる季節だ」と言われるほど、本当に冬が好きです。
気付いている人がいるかどうかは分かりませんが、私の作品は8割、冬が舞台です。終わりごろには春や夏になっていることもありますが、基本的には冬で始まります。
人の温もりが欲しくなるこの季節、強がっている人間を描くのに丁度いいですから。
前置きが長くなってしまいすみません。
過去作のあれこれ、今日はパート②です。前にパート②を50秒だけ公開したんですけど、すぐに消しました。感情の浮き沈みによる溺死です。
さて、今日は『天使の羽などもいでしまえ』について話ていこうと思います。
この作品は私がはじめて書いたホラー作品です。
元々ホラーは好きで、貴志祐介さんとか、三津田信三さんがすごく好きでよく読んでました。
誰の言葉だったか忘れたのですが
『ホラーは推理小説と違って、なにが起きるか分かるからこそ面白い』みたいな言葉がすごく印象的ですね。たしかにその通りだと思います。
あ、こいつ死んだな。うわ!これ絶対あいつの仕業だ!とか。昂ぶりながらページをめくっているときが一番楽しいです。例外もありますけどね。某ジャングル奥地でサルを食べる作品はなにが起きるかわからなくて夜通し読んだのを覚えています。
そんなホラー作品ですが、まあ先に言っちゃうんですけど。書いててすごく辛かったです。
だって、ずっとくら~~い話を書いているんですよ?
作家さんあるあるだとも思うんですけど、たとえば底なしに明るい話を書いたあとってバッドエンドを書きたくなったり、バッドエンドを書いたあとは甘々イチャイチャを書きたくなったりしますよね。それってやっぱり、人間が常に同じテンションではいられない生き物だからだと思います。
自分が好きで好きでたまらない日もあれば、自分が嫌で嫌でたまらない日もある。鯖の味噌煮が美味しくて美味しくてたまらない日だってあるものです。
そんな中で、ずっと誰かを殺すだとか誰かに殺されるだとかそんな話ばかり書いていると頭が狂うんです。
何度も思いましたよ、主人公にかめはめ波を覚えさせて都合の悪い人間全員消し炭にするか、とか。明るいキャラだして将来の夢を漫才師にでもしよう、とか。
でも、それってホラーでは御法度ですよね。
ホラーに必要なのは理にかなった理不尽さと、現実的な陰湿さだと思っているので。
なのでここからは、創作論、みたいなのになっちゃうかもしれません。ごめんなさい。
えっと、そうそれで、じゃあどうやってホラーのテンションを維持したかなんですけど。
まず最初に工夫したのは、「話にタイトルをつけないこと」です。
基本的にWEB小説ってサブタイトルといって一話一話タイトルをつけていくんです。そうすることで見た人が「あ、こういう作品なんだ」とざっくりですが理解してくれるからです。
私も普段はそうしているのですが、本作ではそれをしませんでした。
雰囲気作りの一環ですね。ホラー作品で「背後に気配」なんて書いちゃったらちょっと茶番っぽくなっちゃいますし。上手にやれば恐怖を煽るようなタイトルもあるんでしょうけど、私はそういうの苦手なので、やっぱりサブタイトルはなし、の方向でとりあえず舵を切りました。
あとは、これはツイッターでの話なんですけど、一切の感情を捨てて喋ってました。いやいつもじゃん、というのは置いておいて。
明るく振る舞うのはやめましたし、極力誰かと会話したり、絡んだりするのは控えてました。いやいつもじゃん。
この話やめようか。
二年も創作活動しておきながら作家さんと絡んだことが一度もないの、最近になって危機感を覚えてるんです。ガラパゴス諸島でひっそりと暮らすのは限界ありますね。でもガラパゴス諸島で雑草もしゃもしゃ食べてのんびり生きるの楽しいです。
話がそれました。
もう一つ。
これは私が本作ではじめて行ったことなんですけど、それは「専門分野の勉強」と「取材」です。
専門分野の勉強ってなんぞやといと、本作の主人公、日陰は直接的な描写はしていないのですが、一応サイコパスという設定になっています。
協調性とか、生き物の命に関する物差しが折れちゃってるような子です。
基本、ホラー作品ではこういう人物は必要不可欠です。ですが、そういう場合物語は必ず三人称で描かれます。
サイコパスの人間の一人称ってすごく難しいんです。なぜなら主人公は理解し、至極当然のことを言っていても、読者にそれを理解させてはいけないからです。
なのでこの作品を書くにあたって、まずサイコパスについて勉強しました。
ネットのサイコパス診断からはじめて、それからサイコパスが起こした猟奇事件のウィキペディアを一週間以上かけて読みまくりました。死刑囚の最後の言葉だとかそういう本も買いました。そんな感じで勉強して、サイコパス、もしくは人を殺す人間はどういう感情を持っているか。どういう過去があるか。
やっぱりなんですが、幼少期の虐待はほぼ必須条件でした。怖いですね。それから小動物の殺害も当てはまります。これも作中で描きましたね。
それから虫の図鑑を中古で二冊ほど買いました。虫の生態と、日陰の生き方を重ねたかったからです。
本作では虫が頻繁に登場します。そのあたりは読んでくれた人がどう感じてくれたかに任せますが、どうでしたか!(大声)
それから「取材」に関しては別にマイク片手にテレビ取材如くお邪魔したわけじゃないです。じゃあ取材じゃないじゃん。まあ置いておきましょう。
現地に行って、その情感を拾い上げてくる。そういうことをやってました。
――入学式の桜並木、の描写をするとき、作家さんは自分の記憶を探ります。わざわざ見に行く人はあまりいないですよね。
でも。
――殺人犯の隠れる公衆トイレ、の描写って記憶の中にはどこにもないはずです。ある人はなるべく早くそこを離れてください。
知らないものを見に行く、これは私が初めて実践したことではありますが、なかなか作品に役立てたのではないのかと思います。
夜中の1時に近くの工事現場行って、公衆トイレを開けるのは本当に怖かったです。怖かった。その怖かったを、そのまま文章にする。そうするとどこか立体的な文章になるんですね。体験って面白いです。
ちなみに私はお尻の穴をほじくられたこともあれば胃カメラを喉奥まで差し込まれたことがあるので、今度触手モノを書こうと思います。多分めっちゃ迫真の描写になると思います。
それくらいに、自己体験っていうのは大事だと、知ることができました。
ずーっと感情を押し殺して書いた本作。
書き切ったときに達成感のようなものはありませんでした。
結末が結末だから、気持ちは上向きになることはないですよね。
ただなんの感慨も生まれなかったというわけではないです。
一人の人間の生き様を書き切った。そう思いました。
自分の理解できないことを主人公だけが理解している、そういう文章を心がけていたので、本当にどこかの誰かなんだって思えます。日陰ちゃん、お気に入りの子です。
お姉ちゃんに関してですが、これはある程度はあるあるなんじゃないかって思います。
自分が普通じゃないって分かっていながら、それでも社会に溶け込み、普通に生きたいと願う。私はどちらかというとお姉ちゃんの気持ちは痛いほど分かる派です。
私もよく、「あ、自分って結構ヤバい奴だな」って思います。思うからこそ、なるべくその部分を隠して生きる。誰だってやってることですね。
ただお姉ちゃんは、自分の中に眠る鬱屈としたものにあらがえなかったわけですが。
それから本作には一種の叙述トリックのようなものが含まれています。
死んじゃう死んじゃう死んじゃう
これを最後に繋げられたのは、技術的にも大きな成長だったかなって思います。
いろいろはじめての試みでしたが、荒削りとはいえ、すごくいい経験になりました。
作品作りの際のお話はこんなところになります。
あとはやっぱりこれは昔から思っていたことなんですが。
ごめんなさい。
と、作品を読んでくれた人には言いたいです。
私、基本的に誰かが救われるような話を書いていて、読んでくれている方も、そういう話を好きでいてくれてると思うんです。
『天使の羽などもいでしまえ』も、連載中は「いつ救われるんだろう」っていう声もたくさん見受けられました。
小説なんて、読んでくれている人あってこそです。読んでくれている人のためだけに書いています。
そういう声を見ながら結末を変えようと何度も思いました。やっぱり誰かが救われてこそ物語。最後にみんなが笑ってこその娯楽だって。そう考えが変わりそうになったことも、数えられないくらいにありました。
でも、本当にごめんなさい。やっぱり自分の描いた結末を書く。それは今後に必ず繋がることだから、練習というか、経験のために書かせてくださいと。
いつ救われるんだろう。その声に
「ごめん今から二人のこと殺すごめーん!」と叫びながら書きました。
本当に本当にごめんなさい。ショックを受けた人もいたと思います。不快な思いをされた方もいると思います。
謝罪と、それから、これからは誰かを笑顔にできるような作品を書いていこうと思うので、それでなんとか許してください。
はい。
でも、私が一番時間と労力をかけて書いたのはこの『天使の羽などもいでしまえ』なので、胸を張って生きようと思います。
よく知り合いからおすすめの自作どれ?って聞かれるんですがそのときは迷わずこの作品を挙げています。読んでくれた人は一人もいないです。
でも小説なんて最初の一話を見てくれただけでも嬉しいのでそれでもいいよ(ハート)
ちょろいね。もっとずうずうしく生きたいね。
それでは、本作で一番気に入っているシーンを抜粋して今回は終わろうと思います。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
もう少しでカクヨムコンですね。カクヨムコン用の百合作品を用意しておいたのでお楽しみに(ずうずうしい)
やけにずうずうしいハエってたまにいますよね。かわいい。ずうずうしいのはかわいいのか?
ハエみたいに生きようと思います。
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「カエルからはカエルしか生まれないんだよ、お姉ちゃん」
日陰は、大人びた表情で私を見た。
「みんなそう。金魚からは金魚しか生まれない。ハムスターからはハムスターしか生まれない。カゲロウからはカゲロウしか生まれない。けどね、みんなそれぞれ、それで生きていくしかないんだよ。陸にあがれなくても、、檻の中から出られなくても、一週間で死んじゃう命でも、生まれ持った体で生きていくしかないんだよ」
「そんな、でも、じゃあ、私は。こうなることが最初から決まってたってこと?」
「うん、そうだよ。お姉ちゃん。ずっと前から、決まってた。生まれた時から、決まってた。だから生きている最中にどれだけ他の人に憧れても、他の動物を羨んでも、わたしたちはわたしたちの道を歩くしかない」
「じゃあ、私は、どうすればよかったの? これで、よかったの?」
「百年長生きする亀も、愛した者に殺されるカマキリも、みんな、それを受け入れて死んでいくんだよ。それが自分という存在の、終わり方だから。けどね、幸せがないわけじゃないし、意味もなかったわけじゃない」
日陰は池を指差した。
「わたし、十匹のカエルを殺した。どうなるんだろうって、興味があって、簡単に殺した。それでね、なんにもならないことに気付いた。だから水槽に入ったカエルを全部池に返したの。そしたらね、いっぱいの卵を産んだよ。ほら、見える? この葉っぱについた数百個の卵、きっと、もっとたくさんあると思う。すごいよね。十匹殺したら、その倍以上に増えちゃった。わたしに殺されたカエルの、短い命にも意味はちゃんとあったんだよ」
「でも、私たちは人間だよ。私たちが死んで、なにになるの? 私たちが生きて、死んで、救われる誰かがいるの?」
「それはわかんない。でも、嘆いちゃだめだよ。人と違うからって、自分の命を呪っちゃだめだよ。そうでしょ?」
日陰は片手でピースを作り、笑った。
「マイナスかけるマイナスは、プラスなんだから」
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