最新話『第64話 『駄目人間』の人間関係』更新しました!
西園寺家でも嵯峨の系図は複雑だった。
嵯峨は十三歳の時、叔母に当たるかなめの母を頼って甲武の西園寺家の養子になったと言う。
その時の名前は『西園寺新三郎』だった。
かなめの父が次男で、その次の三男であるところから『新三郎』と名付けられたと言う。
誠は今の『嵯峨惟基』と言う名前と違うと言った。
それに対し、西園寺家には絶家になった貴族の家格が預けられるので、四大公家で絶家になっていた『嵯峨家』をかなめの祖父が嵯峨に継がせて『嵯峨惟基』と名乗るようになったと言う。
また、甲武では嵯峨の事を『悪内府新三郎惟基』の通称で呼ぶのが一般的だと言った。
そこでアメリアは誠も読める甲武の日本語で書かれた士族・平民向けの新聞なら『嵯峨惟基』と書いてあると言った。
どうやらかなめの読める新聞は特殊な文字で書いてある。誠はそこが気になった。