推しているグループに、またあることが発覚したとのことで。もちろん犯罪ではない。先日とは、また別のメンバーが誰かと会ったというだけだ。それをすごく手厳しい言葉で糾弾する人たちの書き込みを見て、なんだかさみしい気持ちになった。そんなことで、国民的アイドルになんてなれるのか!甘い!とたたきまくられている。
5年は待て!とか言う人もいる。何を言う。たとえ、5年後だって、きっとたたくひとはたたくじゃないか。それなのに、5年くらい我慢する根性もないのか。とか言う。
う~ん。ちょっと待て。じゃあ何か?アイドルって、聖人君子、仙人のような、僧侶のような、精進潔斎して暮らすような、そんな神様仏様のようなひと、あるいは、心のないサイボーグのようなひとでないとあかんのか? 人間として普通に日常をすごしたらあかんのか?
ファンだからといって、推しの日常まですべてを縛る、支配する権利はあるのか?アイドルというお仕事を、本人たちにはお仕事と言って欲しくない、自分たちファンを楽しませるということを、仕事、といって欲しくない、そんな無茶なことを言う人もいたりする。夢が壊れるから、撮られるのだけはやめて、という人もいるけど、いや、それ無理やから。撮られた人を責めるより、撮ってひとの気持ちを台無しにするヤツがあかんねん、ってなんで思わへんのかな。
私が好きなのは、推しているのは、仙人でも、神様でも、仏様でもない、生きて、自分と同じように悩んだり困ったり悲しんだり、楽しんだり喜んだりときめいたりしている、普通の人間で、それでいて、がんばるときはめちゃくちゃがんばって最高に素敵な姿を見せてくれる人たちだ。生きた人間なのだ。犯罪ではない。ただ会いたい人に会うことが、なぜダメなのか。
推しの日常のすべてが、ファンのためだけにあるわけじゃないだろう?
などと考えながら、ネットのニュースを眺めていました。
そこで、ふと思い出したのは、大昔、運動部の練習で、途中で水を飲むことは厳禁で、どんなにしんどくても喉が渇いても我慢する根性が大事だった。足が痛くても、グランド一周ウサギ跳びを命じられたら、ひたすら根性でウサギ跳びをした。とにかく我慢と根性が、何より大事だった。人を強くすると言われた。今はどうだ。熱中症予防のために水は飲まねばならないし、ウサギ跳びにいたっては、そもそも膝によくないからしてはダメだという。あの頃、必死で耐えたのは、なんだったのだ?
なんだか、度を超した根性論とか、いらんな、って思ってしまう今日この頃です。