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ただのぼやき2.5

みなさんこんばんは。

ハマーです。


前回の近況ノートでは改行についてお話しました。


簡単にまとめると

1、改行によって視界に入る文章の範囲をコントロールすることで、読者に与える情報量をコントロールする。

2、キャラクターの心情、シーンの呼吸を伝えるために改行を意識すること。

以上の二点が、自分が改行に力を入れる理由です。


さて、今回はこの話を深掘りしていきます。


そもそも、なぜ読者に与える情報量をコントロールし、キャラクターの心情やシーンの呼吸を伝えることに注力するのか。


これは自分が、読書という体験を重要視しているからです。


全ての体験に言えることですが、初めての体験というのか一度しか味わうことができません。


これは前回も少し書いたのですが、
小説は読者の読解力に依存する娯楽です。

たとえば映画、ドラマ、漫画、演劇など、世の中には娯楽がたくさんありますよね。

これらは映像の緩急、音楽、役者の演技、色、コマ割りなどの効果が与える印象、これら挙げるとキリがない要素が複合的に印象を構築してくれます。

ですが小説は、基本的に黒一色の文字と行間しか使えず、読者の頭の中で想像させることしかできません。

まぁライトノベルには挿絵がありますけど。

それでも漫画に比べれば絵の枚数は比較するまでもないでしょう。


話を戻します。

初めての体験は一度しかできません。

世の中にはネタバレという概念がありますが、これをケアしているといえば伝わりやすいかもしれません。

読んでいる途中で先の展開の文章が目に入ってしまうことはネタバレなのです。

人間は忘れる生き物ですが記憶を消すことはできません。

知らないことを前提に物事を考えることができても、記憶は消せません。

つまり、本当に先の展開を知らないまっさらな状態で読書という頭の中で構築する娯楽を体験してほしいのです。

正直、先の展開を知った上で読むことは2回目の楽しみ方になってしまう。

ミステリーのジャンルにおいて、この楽しみ方はメジャーなものだと思いますが、1回目と2回目の楽しみ方は別物でしょう。


というわけで長々と話しましたが、僕は小説という娯楽が他の娯楽より劣っているとは微塵も思いません。

それぞれ長所と短所があるものだと思っています。


僕が伝えたいのは読書というものを、最初にしか、1度目にしか味わえない体験を大切にしたいというものです。


改行もそのために行っています。


なんか読書体験激重感情マンみたいになってますけど、ただ読書が好きなだけなんです。(信じてください


さて、長々と書いてしまいました。

このノートが皆様の創作の一助になることを願います。


ではでは。

今日はこの辺で。

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