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「筆の余熱」と性的嗜好について

こんにちは、eLeです。

今回は簡単に筆の余熱という作品について語らせてもらえたらなと。

ジャンルはBLです。一応R18ではなく、ライト寄りと見せかけて、ギリギリかな……BL嫌いの人にとってはちょっとだけ不快な表現があるかもわかりません。

で、筆者はノンケです。ここだけの話ですが。
同性愛者から見た異性愛者のことをノンケって言ったりしますが、要は筆者は同性愛者ではないんですよね(なので厳密には自分のことをノンケって言わない)

これ、是非男性にこそ読んで貰いたいんですよ。
あえて言うなら「やっぱりBL無理だわ」ってなってもいいので、読んでもらいたい。流石に強引ですけど。

まずはじめに作品の内容ではなく、創作論の話です。

私は性的嗜好と創作って完全に分けているので、BLもNLもGLも理解出来ますし、描きます。そして、それぞれを知ると、それぞれで傾向も違うし、描き出せる独特の世界観も違うんですよね。

一読者として読むのであれば、嗜好を大事にした方が良いと思うので、わざわざ嫌いな食べ物を食べる必要はないと思うんです。

でも、もし書き手であることを料理人に喩えるなら、嫌いな食べ物の味を知っておくことも重要だと思うんですね。

あぁ、やっぱりBL理解出来ないわ、で終わるのではなくて。
国語の授業だと思って、この時の登場人物の考えは?って掘り下げていくと、絶対にある程度の行動心理を推測・想像することが出来ると思うんです。

と、注意が必要なのが、これが実際にセクシャルマイノリティの方々の真意通りか、というのは別の話です。あくまでもフィクションの話です。

 「セクマイ」と呼ばれるゲイ・レズビアン・トランスジェンダーといった性的少数者の方々の考え方って、それこそ先入観だけで間違って広がっていったり、こういった創作物一つとっても歪んだ書き方をされることがあります。侮蔑的・差別的な要素だけが入った作品になることもしばしば、社会問題になっています。

 そうではなくて、あくまでも当人たちは”こういうこと”が当たり前の世界で、”こういう感覚”で生きていることを知って、想像するって、作家にとってすごくメリットのある体験じゃないですか?と、私は思うのです。

 根拠のない妄想ではなく、当人たちのリアルを知り、知ったからこそ、そこから派生して創作に昇華することが出来る。何でもかんでもゼロから生み出せばいいわけではありません。

 そういう意味で今回の「筆の余熱」という作品ですが、高校時代からの友人、男子大学生二人が社会人に成長していく過程でどう成長するか、どう変化したかを描いています。

 大学生時代のモラトリアム、自由すぎる時間は、その人と使い方によって顕著な差を生み出してしまいます。こういう背景の元、元々セクシャルマイノリティだった場合の生きにくさ、不器用さも描いています。

 加えて、本作では「ゲイ」を明確に書いておりません。登場人物は元から男が好きだったのか、途中から男色になったのか、それとも登場人物間だけでの恋愛対象になっているのか。

 それによって第三者からの解釈や、考え方も千差万別だと思います。これだけでも一口に「BL」と言い表せないのがお分かり頂けるでしょうか。

長くなりましたが、5千字程度の短編です。
もし少しでも怖いもの見たさが出たよという方は、ご覧ください。もちろんもともとBLを好まれる方も是非。

https://kakuyomu.jp/works/16817139556458560138

最後までお読み頂きありがとうございました。

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