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感想・レビューの書き方講座 eLe流・コメント論

みなさんこんにちは。最近スーパーのレジにあるビニールが素手で開けられなくて、毎回指を湿らせないといけないほど老化を感じているeLeです。悲しいですよね。潤いって持続しないんだなって……

さて、今回はレビューの書き方というテーマです。

1.コメントは相手の目の前に添える
2.まずは肯定から
3.「欠点」ではなく「気になった点」

の三本立てでお送りします。
これはあくまでも私の主張ですので、気になった部分だけ参考にしていただければ幸いです。

皆さん、結構感想を書くこと、多いのではないでしょうか。

「プロの評論家」なるものもいらっしゃいますが、やはり創作物を”書く側”の人間にしか分からないことがあります。

そして、"書く側"の目線で読むことによって、より一層作品のブラッシュアップに繋がります。これをうまくアウトプットして、相手に伝える。これが感想・レビューですよね。

勿論、単純に感想を伝えるのもそうですが、お互いを高め合うための感想の書き方を学ぶ、一つの参考になれば幸いです。

レビュー・感想・批評と色んな言葉がありますが、ここではどの表現でもOKです。勿論、意味は違いますよね。ただ、今回は大雑把に「誰かの小説を読んで、それに対してコメントする」ことを指しますから、その都度に応じて言葉は使い分けてください。



まず一つ目、大事なことは、「コメントは相手の目の前に添えるイメージで」ということです。相手に直接渡すのではなく、一旦置く、ということですね。

パチンコ屋さんに行ったことがある人は分かるかなと思うのですが、パチンコは終わって換金する時、とあるお店に行くんですね。お店の中は面会室のような、アクリル板で仕切ってあって、小さな箱が一つあるだけ。

そこで小さな箱に換金するための「景品」を入れると、向こう側から箱が回収されて、代わりに現金が入れられて、帰ってくるシステムです。ご存知ない方がほとんどでしょうか笑

もっと簡単に言えば、銀行や宝くじ売り場、大雑把にはレジなんかもそうですが、一度相手の目の前に置いて、受け取る。そしてまたお釣りやら商品やらが返される。こんなやりとりをしますよね。

何が言いたいかというと、案外皆さん、コメントを相手に向かって直接放り投げているんです。

勿論、その中でも豪速球を投げる人は論外です。
「お前の小説面白くねぇな!」
「書くのやめろ!」
「パクリだ!最低だ!」

みたいなのは、そもそも相手を傷つけること前提です。もし投げるにしても、投げ方、つまり言い方を考える必要があります。

ただし、優しく投げればいいかと言えばそうでもありません。「行くよ行くよ、受け取ってね。優しく投げるよ」って言いながらクモを投げられたら、受け取った側は嫌がるし、傷つきますよね。

これが、文章で言うと「決めつけ」だったり「主張」がそれにあたります。

「え、相手に対して主張してもダメなの?ならコメント書けないじゃん。傷つけるような言葉書くなってことかよ」と思われるかもしれませんが、そうではありません。

大事なのは、相手が「拒否」出来るように投げることです。例えばさっきの豪速球だとして、「私は〜思う」を付け足すだけで、これが大きく変わります。
「私は、貴方の小説が面白くないと感じました」
「私は、この作品が〇〇を真似しているように思います」

と、どうでしょうか?

もしこれで受け取った側は、
「じゃあ読まないでもらおう」とか「もっと面白くしよう」「偶然真似になっただけでパクってないよ」「ちょっとしたオマージュですよ」等、どれくらいの気持ちで受け入れるか、もしくは拒否するかが選択できます。

「私は」と個人的な主語を付けることによって、「貴方にも選ぶ権利はありますよ」と、受け手主導にする言い方に変わります。受け取らなくても、ただ「私」が主張しているだけですからね。日本語は案外、主語がなくても伝わってしまうので、語尾だけが大きくなると、全世界が敵のように見えてしまいます。

と、ただし「書くなよ!」みたいな命令形は別ですね。
「私は書くのやめろよって思う」
というのは、言い方を変えても流石に攻撃的です。せめてその理由を述べるなど、表現を変える必要がありますね。

実際、これができていない人が結構います。悪意があろうとなかろうと、無意識のうちに顔面にストレートを投げてる人がいるんですよね。

もちろん、受け手が寛容であったり、言葉の真意を汲み取ろうとしてくれるならいいですが、繊細な方や、どうしてもネガティヴに受け取ってしまう方にとって、強い言葉、攻撃的な言葉、批判的、差別的な言葉はメンタル的に辛いものです。

かと言って、全く批判をするなというわけではありません。受け手としてもそれは同じで、間違っている所を指摘してもらうとか、もっとこうした方がいいのでは?という改善提案は聞き入れる必要があります。

ただ、そう思うあまり攻撃的過ぎる言葉ばかりを無理やり受け入れていると、やがて心が壊れてしまいます。

したがって、まずは全ての主張において、「私は〜思う」という表現方法がクッションになることを頭に入れておきましょう。




2つめ、「まずは肯定する」という話です。

「この小説は全然ダメ。まず文法、何も勉強してないのが分かる。三点リーダーって知ってる? 誤字も多いし、そもそも主人公が何やってるか分からない。設定もよくある内容だし、勇者が特別な魔法を使えるってのは面白いかもしれないが、もっと本を読んだ方がいいと私は思う」

上のコメント、どうですか?

これはあからさまですが、ガンガン「否定」から入りますよね。私は思う、なんてつけてますが、焼け石に水です。

もちろん、これもメンタルが強くて、「そうですよね!頑張ります!」となれば心配することはありません。でも、大抵の人が凹みますよね、こんなにボロクソに言われたら。

これって一つ大事なのは、「事実か事実でないかは関係ない」って所です。

特に、小説なんていうのは捉え方ひとつで変わってきます。
そういう意図で書いてないのに勘違いされる、オマージュのつもりがパクリと受け取られる、ミスリードを誘ったら脈絡がないと言われる、などなど。

個人の力量にもよりますが、誰がどんな意図で書いているかなんて、本人にしか分かりません。ましてやアマチュアの小説ですから、文法が全て完璧である方が稀でしょう。

人間は会話の中で否定から入られると、心が縮こまって、身構えてしまいます。その後にいくら褒められても、「この人は私を攻撃しようとしている」「この人は私が悪いと思っている」と、防御体制に入ります。

そのため、まずはいい所を褒めることで、相手の心を開きます。もしくは事実だけでもいいでしょう。
1話書き終えて偉い。誤字脱字がほとんどなくてすごい。キャラクターが可愛い。設定の良さがあるなら、それもどんどん書き足しましょう。その後に実際の気になるポイント、間違いなどを書いていくわけですが。


ここで、いわゆる「正論」は使い所が大切です。
「ここの設定、おかしいですよ」と、あなたがもしコメントをする立場で、それはそれはpvも沢山集めて、もしかしたら書籍化もするほどの人気作家。はたまた最近書き始めた新人。その二人が同じ意見を言ったら、印象は変わると思いますか?

答えはNOです。厳密には変わるかもしれませんが、小説の感想やレビューは、一個人の意見でしかありません。どこからか引用を引っ張ってこようが、どんなお偉い小説家だったとしても、書いていることを否定していい理由はありません。そもそも、受け手がその小説家のことを知らなければ、指摘される優位性も何もありませんしね。

史実に則った歴史小説で全く適当なことをでっち上げるのはダメかもしれませんが、そうでない限りはフィクションの世界です。読み手が納得するような理屈であれば、それでいいのです。

と、要するに、「正論」などを使って否定するメリットはあまり無いんですね。
あくまでも必要なのは、改善提案をすること。この後3つめで記載しますが、どうやったら相手が得をするのか考える。投げたコメントを受け取ってもらえるように、投げ方と、投げるボールを工夫する必要があります。

キャッチボールをしていて、相手が捕るの苦手そうだと思ったら、ふわっと浮かせたボールを投げるのか。もしくは転がしてみるのか。ボールも柔らかいボールがいいのか、それとも慣れているから硬球にしようか、と考えます。

こうした狙いを含めた実際の書き方、コメントは慣れが必要ですが、まず心に留めて頂きたいのは、「否定から始めない」ということです。

否定や批判自体は、内容によっては良いかもしれません。ただ、まずは褒める。褒めて、私の言葉を聞いて! こんなに真剣に読んだから、もっと小説を良くするために受け取ってくれ、という意思表示をしましょう。



3つめ、最後は「気になった所」を述べる、です。

よく、良かった所、悪かった所。利点と欠点、メリットとデメリットなんて言い方をします。

「今回の小説の良かったところはここです。悪かったところは〜」

と、言いたくなりますが、一度ストップ。二つ目でも話した通り、悪かったというのは結構主観的です。

え、良かったことも主観的じゃない?

おっしゃる通りです。でも、良かったところはいいのです。だって、言われて嬉しく無いわけないですから。誰かの主観として、喜んでもらえたんだって感じられます。しっくりこなければ受け取らなければいい。

でも、悪いところは別です。その言葉によっては傷つくかもしれない。
「いやいや、傷つく奴が弱い。この程度の指摘でダメなら書かないほうがいい。こうした方がわかりやすいから言ってる」と、そういう主張もわかります。

でも、「悪いところ」って書く意味があるでしょうか。もっと言えば、悪い所ってなんでしょうか。その小説、誰かに害を及ぼしていますか?

例えば、全く注意書きが無いのにグロテスクな描写がポンポン出てきたら、それは「悪い」かもしれません。でも、ちょっとした表現の間違いとか、わかりにくい表現とか、ちょっと読みづらいなとか、今後読み続けるにはちょっとなと、感じるだけですよね。

なので、「悪かった点」は大抵、ないんですよ。デメリットも、欠点も。

ですから、これからは「気になった点」と言い換えましょう。こうするだけで、言葉も自然と変わってきます。

・勇者が一人だけで進んでいくのが気になる
・パーティが9人というのは多過ぎるような…
・書き出しの街の風景にちょっと違和感
・キャラは可愛いが描写がもっと欲しい

こんな指摘はいかがでしょうか。箇条書きである必要はありませんが、こうして「改善点」を具体的に挙げてみると、相手にもわかりやすいですし、何より相手、作者さんが選びやすいですね。

受け手、作者としても、「いや、パーティは9人であることに意味があるんですよ」とか「確かにキャラはもっと書き足してみます」とか、取捨選択が出来るし、意図していたことが伝わっていないんだ、という気づきにもなりますよね。

感想を書く上で大事なのは、両者の得になることです。感想を書く方は、わざわざ時間を割いて読んで、感想を書くわけです。それを単なる粗探しで、妙なストレス発散に終わってしまうのはもったいない。

相手がどんなことを考えて、どんな風に作ったのかな。その中で、ここがよく分からない。どうしてこういう表現にしたのかな。自分ならもっとこういう表現にするけどな。でも、こういう表現は自分じゃやらないから、お手本にしてみよう。

ただ読むだけでなく、感想としてアウトプットしようとすると、インプットの精度も格段に向上します。

そして、感想を受け取った側も、
「めっちゃよかったです! 素敵でした! 可愛くて、カッコ良くて、これから先が気になる展開です!応援しています!」

こんなコメントも、嬉しいですよね。でも、こんな感じのコメントが10個も100個も付いてたら、どうですか? あれ、みんな気を遣ってくれてる? ちゃんと私の作品読んでる?ってなりますよね。

かと言って、鋭い指摘ばっかりじゃ疲れてしまいます。なので、上に挙げたような取捨選択出来る指摘、気になっている部分があると、小説も改稿しやすいですし、今後の小説を書く上で、文章力、構成力が上がっていくことでしょう。




さて、長々と書きましたがいかがでしたでしょうか。

これは1:1の読み合いの時にも役に立つテクニックです。何が役に立つかって、人間関係の構築です。コメントやレビューって、結局対話なんですよ。「評論家」と揶揄されるのは、相手の気持ちを考えず、作品や作者を無機物のように扱うから、距離が生まれてしまうんですよね。

もちろん、時には無慈悲に批判しなければならない事象もあります。でも、小説は違うと私は思います。

より具体的で、自分の糧になるような感想をくれた読み手さんは、心に残りますよね。ちゃんと読んでくれてるんだなとか、この人はすごく読解力があるんだなと。仲良くしていきたいな、また読んで欲しいなと。

逆に、読み手としても本気になるでしょう。正直、こんなに面白い小説、内心悔しい。でも、粗探しをしたらこんなに分からないところが出てくる、とか。

興味のない作品も、読んでみたらこんな発見があった。自分ではこんな表現しないから、今度使ってみようか、なんてことにも繋がります。

感想を書くのは、大変なことです。特に日本人は「当たり障りのない文章」を書くのが得意ですから、感想を書くとなると「お世辞」か「指摘・批判」の両極端になりがちです。

そして、そうでない部分を探すのって、結構大変です。でも、ちゃんと読み込んでいけば、絶対に自分の書き方と違う部分が出てきます。それは自分より圧倒的に文章力があって、実績がある人でも同じです。

そういう人なら尚更、「どうしてここはこうやって書いたんですか?」と聞くべきですよね。尻込みして、「さすが、やっぱり完璧でした」なんて言っていたら、その人を永遠に超えられませんし、嫉妬や妬みだけで批判するのもお門違いでしょう。

何より、書き手にとって、コメントはモチベーション維持に必須です。読書専門の人が書いてくれるのはもちろん、私たち書き手にとっても「感想を書く」ということは、とても重要であることを、再認識頂きたいなと思います。

こんな記事が皆さんのお役に立てば幸いです。

お読み頂きありがとうございました。

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