日本書紀と仏教伝来以降の神仏習合を調査していて思ったのですが、だいだらぼっちは武蔵国の伝承ではあっても武蔵野の伝承ではないような。
大山信仰、御岳信仰、三峰信仰、榛名信仰などの山岳神宮寺の宗教文化がだいだらぼっちの下地にあると私は見做すのですが、そうなると平地"武蔵野"の伝承ではなく、より山岳に近い地域、すなわち武蔵国周辺部の伝承文化が、江戸期の山間部からの人の移動と共に田園部を経由して都市部に持ち込まれた、その可能性は無視できないと思うのです。
静岡県や群馬県、茨城県にも"だいだらぼっち"の伝承が伝わっていることが、"だいだらぼっち"が日光ー上越ー秩父、そして大山を含む箱根山系によって形成される関東平野を囲む山地に共通した、むしろこの関東の山地に産した伝承であることの証左であると思われます。
(以下引用)――武蔵国は,東海・ 東山両道が関東地方に入る相模・上野両国の中間にあり ,秩父の山地と武蔵野の広大な地域を占めていて,
滝口宏『武蔵国分寺の調査と「土」』、土と基礎、 40− 1(408)、1992年
民俗学ではどのように歴史的な国政地理を捉えているのかは存じ上げないのですが、私は上に引用した考古学の立場からの国政地理の知識下で時代考証並びに調査を行っていたので、どうしても"だいだらぼっち"が武蔵"野"の伝承というより、もう少し範囲を広くとった武蔵"国"の山岳伝承とした方が良いように思えるのです。
たしかに柳田翁の「一つ目小僧」の本には、「武蔵野地にだいだらぼうの足跡があらわれた」という記述があるのですが、これは大きい足跡=だいだらぼうの物である、と地方民の寄せ集めである東京市民が「山岳に現れる巨人の伝承」を口にしたということではないのかな、と。
そのあたり、以前私が江戸の妖怪について考察したことと繋がってくるのです。
近況ノート「参勤交代がもたらしたもの」(
https://kakuyomu.jp/users/gonnozui0123/news/16816927862838803214)
ま、素人の私感です。
*紫色の線が関東の主要な山岳神宮寺(現在はすべて神社)を結ぶもので、このラインに沿ってだいだらぼっちの伝承が各地に伝わっています。ピンクがおよそ武蔵国の範囲です(ちょっと千葉に食い込み過ぎてます)。地図は国土地理院より引用しています。