古墳のてっぺんから芝生を段ボールで滑り降りてきました、葛西です。
気を取り直して現代に尻を落ち着けて、大山街道の現在の姿をレポートしてまいります。
さて前回の寺院タイプのお稲荷さん、豊川稲荷を過ぎたその後は、道はおしゃれな若者の街、渋谷に向かって真っすぐに進みます。
いやあ太いっすねえ、大山街道。片側二車線の幹線道路です。赤坂方面に向かう車が混んでいますが大体昼間の東京はこんなもんです。
ぶらぶらとそのまま広くて歩きやすい歩道を歩くと、「広くて歩きやすい歩行者専用の歩道を歩いていくと」、……ちょっとここのところ、強調させておいてください。
①は梅窓院というお寺が左手に見えてまいります。
梅窓院の入り口付近は竹が植えられ風情充分なのですが、実際のところお寺の本体はガラス張りの近代的なビルとなっております。
門だけが寺ですな。
その梅窓院から歩いてすぐ、こちらにある寺院②は善光寺です。
牛にひかれて善光寺、信州信濃のあの善光寺です。
江戸時代、各地の有力な寺院は人口密集地である江戸で出開帳を行ったり、あるいは布教僧を派遣して信徒を増やそうとしておりました。
今も東京渋谷区にあるこの善光寺は、その時、善光寺が東京出張所として開いたもの……のはずなんだけど、一応、将軍家の勧請という名目か、な( ゚ω゚)アトデシラベル
大山街道から少し外れて③の神社は金王神社です。由緒来歴は「『海鷹の翼』取材の記録」(
https://kakuyomu.jp/works/16816927863307553651)の方へ筆を譲って、たださくさくと前へと進みますと、以前ご紹介した宮益坂、その一角に④御嶽神社がございます。
いずれも江戸期からある神社とのこと、江戸府内を出る前も有名どころの神社に寄りながら大山への出立となったのでしょう。
今は東急109、有名な商業ビルを右手に見ながら大山街道は西へ西へと向かいます。
⑤は現在の道玄坂で元は宮益坂にあった千代田稲荷がラブホ街に埋もれております。過日は江戸城大奥の信仰厚く、将軍家茂の上洛の際に安全祈願を請け負った由緒をもちながら、今はひっそり、渋谷の街の移り変わりをどう眺めておいででしょうか。
こんな感じで大山街道の様子をこれから何回かに分けて近況ノートでご報告、そのあと本文に考察を加えてまとめるルーチンを作っていきたいと思います。ではでは、また次回。