御嶽神社は「おんたけ」と、御岳神社は「みたけ」と呼びます。
御嶽神社は木曽・御嶽山を信仰の対象とする山岳信仰で、先年の激しい突然の噴火を覚えている方もおられるのではないでしょうか。
山岳信仰の常で神道的性格と仏教的性質を併せ持った御嶽信仰は、江戸時代、多くの御師によって信徒を増やしました。
一方、御岳神社は東京の西部、奥多摩に本社があります。御岳神社も江戸時代には多くの御師を抱えていました。今も御師集落の名残が山頂付近にあり、参拝客をもてなす文化が残っています。
……ケーブルカーでお手軽に登れるのですが、急坂を見るとヤル気が満ちる私は徒歩で上ります。だいたい1時間もあれば行けますよ!休むな!水を飲むな!足を止めるな!筋肉引きちぎれても速度を保て!
そんな体育会系な思考をもってしても、走って上ってくる少年野球団に抜かされるんですけどね。なんなんだ、あいつら(゚ω゚) あ、ケーブルカー売り場で売っているスモークチーズが美味しいです。お土産に是非!
御岳神社は狼を信仰する系列の信仰形態を持ち、ヤマトタケルノミコト東征時にその行く手を導いた、という伝説があります。
手塚治虫氏もこの伝説を「火の鳥」の中に用いています。
御岳神社は明治維新後、東京の鎮守としてその社格が認められました。
神仏習合していた御嶽山は、明治政府による神仏分離によってその影響力を大幅に減少させました。
今も東京には御嶽信仰の名残である御嶽神社がいくつか存在していますが、維新後の明治政府による干渉の結果、本来の御嶽信仰が失われ、代わりに狼の狛犬が置かれるなど御岳神社との混同が見られます。
明治政府が保護したもの、棄却したものの明暗は、このような所にも見ることができます。
……「海鷹」の取材で御嶽にも登りに行かんとなあ。噴火、大丈夫かなあ(゚ω゚)
写真は千代田稲荷(
https://kakuyomu.jp/users/gonnozui0123/news/16816927860247591803 )の背中合わせにあった御嶽神社です。狼がしれっと座っていますが、ここは元々御嶽信仰の神社でした。この御嶽神社は以前もちょろっとここの近況ノートで取り上げた大山街道という街道沿いにあります。
大山街道は、街道の行く先自体が神奈川県にある大山信仰の総本山でもあり、沿道には江戸時代の神社仏閣が多く残っています(建物自体は関東大震災や東京大空襲で焼失したものが多くなっています)。
まずは「翠雨」と「海鷹」の物語を繋ぐ大山街道から取材を進めていく予定です、が予定は未定(゚ω゚)