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取材ノート:「翠雨の水紋」(29)渋谷宮益坂千代田稲荷

寅衛門「いや、近況ノートの前に本編をだな」
寅吉「無駄です。ここの作者、既に近況ノート職人ですわ」
寅衛門「本編の更新がまた日付変更ぎりぎりになるぞ」
寅吉「チキンレース上等!だそうですわ」
寅衛門「しょうもない」
寅吉「三つ子の魂百までとはまさにこのこと」

寅衛門「そんな作者の計画性の無さは燃えないゴミ箱に放り込んでおいて、本日の取材ノートは渋谷の千代田稲荷社だ」
寅吉「へえ、渋谷!ナウでヤングな街ですね!」
寅衛門「渋谷駅は現在絶賛再開発中で、新宿ダンジョンを凌ぐ迷宮が構築されている」
寅吉「駅から外に出るのがいちばん大変だったとは作者の言葉です」

寅衛門「さて千代田稲荷神社だが、この神社、幕末期に突然ブームになった。嘉永までは社屋すらなく畑だったのだが、いつの間にやら忽然と宮益坂の地に現れた」
寅吉「宮益坂を含む渋谷の近辺には大名屋敷がいくつかあったようですが」
寅衛門「ほとんどが下屋敷、しかも庭園を持った優雅な下屋敷ではなく、畑や商品作物を栽培していた。江戸参勤の藩士たちの食料を自給自足するための農園だな。『翠雨』でも下屋敷に畑がある、というサブリミナルな記述があるぞ」
寅吉「そんな畑だらけの田舎に突然現れた神社が大繁盛ですか。なにがあったんでしょうね?」
寅衛門「それには幕末期、攘夷を強く主張する朝廷を説得しに上京した第14代将軍家茂が深く関わっている。図の上段、これはその家茂が京都から大阪に出て船に乗り、江戸に海路で戻ってくる様子を表した錦絵だ」
寅吉「左上に狐がいますね。もしかしてこれが」
寅衛門「そう、これが千代田稲荷の狐だ。将軍の上洛の無事を祈って、大奥が千代田稲荷に多大な寄進をしたという。そもそも大奥にあった稲荷社が江戸城の火災に遭ったので外に出て千代田稲荷となった、という逸話もある」
寅吉「千代田という言葉は江戸城の別名としても使われるんですよね」

寅衛門「大奥の寄進すなわち、いつもは人目に付かない大奥の女性たちが稲荷社に寄進を納めにやってくるということで、江戸っ子たちはこれは見に行かなければと野次馬根性に湧いた」
寅吉「だから幕末にブームなんですか。ああ、中段左の錦絵が当時の賑わいを表していますね」

寅衛門「そしてこの辺りで東京トラップが発動する」
寅吉「へ?」
寅衛門「江戸時代に人気になったのは宮益坂の千代田稲荷だが、現在、千代田稲荷は道玄坂にある」
寅吉「ラブホ街っすね。作者、出かけたんですか」
寅衛門「朝早いラブホ街には独特の詩情があるとかいっていたが」
寅吉「気のせいじゃないですかね。あれ、道玄坂。確かに宮益坂と繋がっていますが、別の場所ですよね?」
寅衛門「そうなんだ。もともと渋谷駅の東側にある宮益坂にあった千代田稲荷だが、今は渋谷駅の西側の道玄坂ラブホ街に場所を移している」
寅吉「千代田稲荷の背中側にある御嶽神社はそのままなのに、どうしてですか?」
寅衛門「もう一度上段の錦絵、その右上を見て欲しい」
寅吉「ん?馬に乗った人の姿と、あとなんかおりますね」
寅衛門「これらは仏教の神だ」
寅吉「あ~……、あのめんどくさい話だ」
寅衛門「千代田稲荷の盛衰には、明治維新の神仏分離の影響ならびに徳川時代の栄華の後を消そうとした明治政府の意向が強く働いていると考えることができるのだ」
寅吉「言われてみれば上段の錦絵、家茂将軍は神仏習合の代表格であるように描かれていますね」
寅衛門「で、明治維新後、幕府の庇護を受けていた千代田稲荷はただちに江城に近い場所から離れて坂道のより厳しい道玄坂へと移動した」
寅吉「その時の記録も残っているそうですが、本編の進行状況がアレなのでまた後日、ご紹介します」

寅衛門「本来、千代田稲荷があったところは現在跡形もなく、都市型マンションが建っている(下段右)」
寅吉「新徴組も、料亭百川も、そして千代田稲荷もですか。栄枯盛衰ですなあ」
寅衛門「そんな、当時はあったのに今は記憶すら定かではないモノ、それをできるだけ書き込んだのが『翠雨』であり、『翠雨』の目的でもある」
寅吉「……読者に伝わらないテーマは作者の自己満ですよ?」
寅衛門「いいんだよ、だって自由創作物なんだから自己満以外に何がある!」
寅吉「うっわ、開き直った」

寅衛門「そんな感じの『翠雨』ですが、いよいよ終盤です」
寅吉「『冬青木』のあの場面につながるんですよねモガッ」
寅衛門「ネタバレはやめろ」
寅吉「モガガ」

寅衛門「本文の5倍以上の時代考証が詰め詰めに詰めこまれた『翠雨の水紋』、いよいよファイナルステージに掛かって参りました」
寅吉「そんなことを前から言っている気がしますが、公私ともに現在いっぱいいっぱいの作者、現実の時系列把握が困難になっています」
寅衛門「更新が遅れ気味になりますが、どうぞ最後まで」
寅衛門・寅吉「よろしくお願いいたします!」

*資料は国立国会図書館デジタルコレクションならびにボストン美術館が認定したパブリックドメインより引用しています。
・海上安全万代寿 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1310479
・東都青山絵図https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2543094
・Famous Places in Edo: The Chiyoda Inari Shrine at Miyamasu in Aoyama (Toto meisho Aoyama Miyamasu Chiyoda Inari sha no zu)
https://collections.mfa.org/objects/536760/famous-places-in-edo-the-chiyoda-inari-shrine-at-miyamasu-i?ctx=d94a1668-a343-4179-b6d5-f98e6825bff7&idx=47

*切絵図中、上下に流れる川は渋谷川といい、童謡「春の小川」のモデルとなった川です。「春の小川」が発表された当時、まだ渋谷は田園地帯であったことが窺えます。

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