小学生にとって待ちに待った夏休みが始まったが、ついてまわるのが学校から課される「宿題」の数々。子どもたちはもちろん、「早くやりなさい」とはっぱをかけたり、見かねて手伝ったりする親にとっても、憂鬱な存在となりがちだ。だが昨今、この夏休みの宿題に“異変”が起きている。漢字・計算ドリルや読書感想文などを一律で課す宿題からの脱却をはかろうと、改革を進める学校が出はじめ、なかには宿題自体を廃止した学校もある。変わりつつある「夏休みの宿題」の最前線を取材した。(AERA dot.)
Yahooニュースで見つけた記事。夏休みの宿題を無くした小学校の取り組みを肯定的に捉えたものだが、コメント欄には否定的な意見が並んでいておもしろかったので考えてみました。
わたしは、なにを目的としてだれが子どもを教育するのかというのがこの問題の本質ではないだろうかと思っています。
学校というのは、社会がその未来の構成員たる子どもたちに、社会生活を送る上で最低限度身につけておかなければならない協調性や遵法意識、学力、体力を教え込む機関です。なかでも小学校はその性格がもっとも強いと感じます。
最低限度という尺度を使うと、夏休みの宿題などというものは必要ないと個人的には考えます。事実、わたしは夏休みの宿題をまともに仕上げた記憶がありません。できる子はできるし、できない子はできないことを、「やっぱりな」と先生が夏休み明けに確認するだけです。
Yahooニュースのコメント欄に「宿題をなくしても子どものためにならない」とたくさん書いてありますが、そのほとんどは学力低下を心配する内容です。
学力低下についてわたしの考えを述べると、老人ならともかく小学生の段階で学力、知識、教養が低下するとは考えられません。向上する一方のはずです。
夏休みのあいだも、子どもは子どもたちに必要な知識を自ら蓄えていくでしょう。問題は親が蓄えてほしいと願う知識とは別の知識ばかり蓄えてしまうことではないでしょうか。そうだとすれば、それをなんとかするのは親の問題です。親みずから子どもを教える以外方法があるでしょうか? 自信がないなら塾か家庭教師に外注しましょう。
そうしたってできる子はできて、できない子はできないことを親が確認することになるだけですけどね(苦笑)「子どもに勉強をさせると学力が上がる」なんてのは神話や伝説と同じだと思ったほうがいいと思います。まずそんなことはないんです。
そうじゃなくて、やる気のスイッチを探すことです。スイッチが入った子どもの学力は必ず伸びますからね。問題はそのスイッチのありかが親にも子どもにも先生にも分からないことです。学校の勉強や宿題は、そのありかを探っているフリをしているだけで、ほんどと無力なのだということを親は知っておくべきでしょう。
そうすれば、勉強しろ、勉強しろとガミガミいって子どもを半泣きにさせてしまうことも減ると思います。
あの頃夏休みの宿題がなかったらどうだったかなあ。。。