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藤光
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2019年5月21日 11:11
死の覆われた社会
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201905/sp/0012350583.shtml
人は死んでいくものなんですけどね。
どういうことかというと、死は極めて身近なものなのです。この国の年間死亡数はざっと130万人。1日に3,500人以上死んでいることになる。「多死社会」という言葉もあるくらい、いまは大勢の人が死んでいく時代。そう感じないのは、そのことが覆い隠されているだけだ――ということに無自覚であってはいけないと思いますね。
藤光
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2件のコメント
明弓ヒロ(AKARI hiro)
2019年5月21日 11:58
コメント失礼します。
単純に死亡者数は、
自然死 > 疫病 > 戦争 > 災害
なので、本来政策の優先順位は、
経済政策 > 医療・福祉 > 安全保障 > 災害対策
となるべきですが、そうはならない。得てして逆になる。
出生率が高いと、戦争や災害の復興は、意外と速いが、
逆に、出生率が低いと、戦争や災害などなくても、滅びてしまう。
寿命で死ぬのは当然でも、寿命を全うせずに死ぬことは受け入れられない。
みんな死ぬなら納得するが、自分だけ死ぬのは納得できない。
人間の宿命ですね。
藤光
2019年5月21日 12:25
コメントありがとうございます。
>みんな死ぬなら納得する
まさにそのとおりで、実際みんな死ぬことは頭ではわかっているものの、実感としては遠い、ということなのでしょう。
人の死が社会的に覆われ、隠されているためです。
それは「そんなことは『ないこと』にしたい」という死を忌避する意識の産物です。新聞記事にある「看とりの家」を拒絶するというのも根っこは同じ。見せられると受け入れざるを得ない。そんなことは耐えられないから見たくない――。
いまは、人と死が向き合うことが困難な時代なのかもしれません。
――などと知ったようなことを書いてしまいました。リアクションうれしかったです。ありがとうございました。
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