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死の覆われた社会

https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201905/sp/0012350583.shtml

人は死んでいくものなんですけどね。

どういうことかというと、死は極めて身近なものなのです。この国の年間死亡数はざっと130万人。1日に3,500人以上死んでいることになる。「多死社会」という言葉もあるくらい、いまは大勢の人が死んでいく時代。そう感じないのは、そのことが覆い隠されているだけだ――ということに無自覚であってはいけないと思いますね。

2件のコメント

  • コメント失礼します。

    単純に死亡者数は、
    自然死 > 疫病 > 戦争 > 災害
    なので、本来政策の優先順位は、
    経済政策 > 医療・福祉 > 安全保障 > 災害対策
    となるべきですが、そうはならない。得てして逆になる。

    出生率が高いと、戦争や災害の復興は、意外と速いが、
    逆に、出生率が低いと、戦争や災害などなくても、滅びてしまう。

    寿命で死ぬのは当然でも、寿命を全うせずに死ぬことは受け入れられない。
    みんな死ぬなら納得するが、自分だけ死ぬのは納得できない。

    人間の宿命ですね。
  • コメントありがとうございます。

    >みんな死ぬなら納得する

    まさにそのとおりで、実際みんな死ぬことは頭ではわかっているものの、実感としては遠い、ということなのでしょう。

    人の死が社会的に覆われ、隠されているためです。

    それは「そんなことは『ないこと』にしたい」という死を忌避する意識の産物です。新聞記事にある「看とりの家」を拒絶するというのも根っこは同じ。見せられると受け入れざるを得ない。そんなことは耐えられないから見たくない――。

    いまは、人と死が向き合うことが困難な時代なのかもしれません。

    ――などと知ったようなことを書いてしまいました。リアクションうれしかったです。ありがとうございました。
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