まだ紫色のクオリアを再読しています。
今は第二部側で、この作品がよく取り上げられる『ループもの』としての章です。
私は実は第一部のほうが好きです。うえお久光らしい、一瞬で全て斬り抜けて後ろを振り返らない、というスピード感が味わえる章だからです。
第二部はかなりアンバランスな作りになっています。文章も乱れています。
私はそれもうえお久光の味なので大好きなのですが、『壊れたエンジンを無理やり暴走させてる感』があって、ブレーキが壊れたスポーツカーに乗ってるようなスリルが強すぎる面があります。
私は『スクライド』というアニメがとても好きなのですが、その中に
『どうにもならないことを、どうにかしようと抗い続ける人』
と主人公を評するシーンがあります。
私はうえお久光に、そのフレーズはピッタリだなと思っています。
『紫色のクオリア』の語り部の少女は、友人のためにループし続けるのですが、絶対に諦めようとしません。
うえお久光の主人公の恐ろしくリアリティのあるところは『退かない』という点にあるような気がします。
なのでうえお久光の主人公は他の作品主人公では選択しないような『悪』を選ぶことが多々あります。彼の作品を評する人のなかには「主人公にあるまじき行動」という人もいます。
だからこそ面白いんですね。彼の作品は抜群に。
誰かを傷つけ、地獄に突き落としてしまうような行動も自分自身の『願い』のためなら選択する。それでどれほど自分が傷つこうとも最後の目的のためなら突き進み続ける。
まさにスクライド的というか、社会から反逆者として唾棄されるだろう姿勢です。
だからこそ「そのやり方じゃお前死ぬぞ」というリスクとスリルのある描写がうえお久光の作品には充ちていて、読んでいてしんどい時もあれば、魂ごと引っ張られそうになる瞬間もあります。
『退かない』んだから破滅するのは当たり前なのに、それでも『退かない』んだから、破滅から逃れることができない。
そんなふうに友人を救おうとする少女がループしまくってるところで私のスマホから『Reckless fire』が流れ始めました。スクライドのOPです。
『奪え、全て、この手で。たとえ 心 傷つけたとしても』という歌い出しのフレーズを小学生の頃に聞いた時は痺れたものです。
うえお久光の描く主人公が正しいか間違っているかでいえば、『間違っている』と言うほかないでしょう。
しかしもしそうであるなら、『間違っている主人公を描き切る』ことができる作者はかなり少ないです。それは文章の美しさやエンターテイメント性の高さとは、まったく異なる価値だからです。
まるで若い頃の話を無限に繰り返すボケ老人のように、私はうえお久光の小説を読むと何かが思い出せる気がします。