シュバルトがヴァイスの面倒を見始めて一体何日経過しただろうか。
基礎中の基礎である魔含獣狩りは段々と安定し、買い物も問題なくなり、試しに何度か何も言わず彼の視界から失せて一人でやれるか様子を見たりもしたが冷静に魔力レーダーを辿って合流しに来た。
アザーに来たばかりの頃の軟弱そうな顔に比べればいくらか精悍な顔立ちになった気がする。もう教えることも少なくなってきたので、今日が恐らく最後の指導になるだろう。
その話を交換受付のコチョウに伝えると、彼女は「結構」とだけ告げた。
「次の教導が終わったら、後はあいつ個人の選択の問題だ。俺は晴れてお役御免。何も問題はない。そうだな?」
「確認するまでもないけど重箱の隅をつつくモテないあんたのために言ってあげる。あんたの言う通りよ。またせこせこ『秘密基地』に通いなさい」
「ちっ、俺の行動にゃそんなに問題があんのかよ」
「ないね。リテイカーがどこで何してようが、どうせ何もできやしないよ」
つまりは黙認ということらしい。
それが聞けて内心ほっとした。
執行委員会がどのレベルで何を管理しているのか全容が見えない今、難癖をつけられて虫のように捻り潰されるのだけは御免だ。
やっとシュバルトのささやかな楽しみが戻ってくる。このまま孤独に枯れていくだけの人生だとしても、それは紛れもなくシュバルトが望んだ時間なのだ。
楽しみにしていると、コチョウがため息をつく。
「いいの?」
「何がだ」
「薄々気付いてるんでしょ、ヴァイスのこと。お人好しの彼なら貴方一人くらい――」
「ああ、そういうこと」
やはりヴァイスが『神授二十一技家』に連なる人間という予想は合っていたらしい。すっかり忘れていたが、シュバルトも前は楽園内(インナー)に帰りたいと思っていたのだった。口ぶりからしてヴァイスならば執行委員会も強くは干渉できないのだろう。
しかし、今更あの架空の時代で限られた夢を維持するパーツとして何も知らないふりをして生きていけるかと考えると、もう知ってしまった現実の濃さが強すぎる気がする。
「戻ったところで、社会に馴染めずまた弾き出されるんじゃねえの。すっかり人でなしが染みついちまったからなぁ」
「……そうね。その点じゃあんたはあたしと同類よ」
「え、そうなの?」
「休暇で中に帰るとね、最初はほっとするのに、暫く経つと思うのよ。『世界はここじゃない』って。そう思う私は、とっくにアザーの存在になっちまってるのよ」
豊かで不自由ない世界は、現実からの逃避で成り立つ虚構の世界。
何の希望もなくなった漠たる荒涼の大地に飛び散る血潮と弾丸、そして未来のない人間達がただ今を食いつなぐために良心を捨ててみっともなく藻掻き苦しむこれが、世界の本当の姿――。
コチョウは天井を遠い目で見つめると、不意に椅子の背もたれにもたれかかる。
「あんたの顔はちょっと見飽きたけどね、そのうち見た回数が親の顔を超えそうかも。いい加減ランク詐欺やめなさいよ」
「やだね。同類の面が拝めなくなると寂しいだろうから気を利かせてここにいてやるよ」
「調子に乗んな。ほら、とっとと仕事にいきな」
先ほどまでのしんみりしたコチョウは鳴りを潜め、いつものぞんざいな扱いに戻る。ある意味、コチョウとこんなプライベートな会話が出来たことがヴァイスの面倒を見た報酬かも知れない。
外に出れば、いつもの場所でヴァイスが待っていた。
「教官、今日は何を?」
「最終教導だ。ポイントβに行くぞ」
「最終……今日が最後、なんですか?」
「ああ。この俺のありがた~い助言を一言一句たりとも漏らさず記憶しとけ」
ヴァイスは一瞬寂しそうな顔をしたが、努めて明るく「はい!」と返事した。
大して難しいこともしないので、新人気分は今日で卒業してもらおう。
結局彼が何を目的としてここに来たのかは最後まで分からなかったが、どうせ彼とシュバルトは生きる世界が異なる。
選ぶ権利を行使出来るのだから、他のリテイカーと違って生きたいところで生きれば良い。全ての責任を己の身で受ける覚悟があるのならば。