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喫茶店コンティニュー2-1(特別公開)

 人は、自分のミスを認めることを基本的に嫌う。
 自分の尊厳や面子を守りたいからだ。
 しかし、不思議なことにそうした心理が強い人間に限って自分が何故怒っているのかに心当たりがまるでなく、逆に自分の方にこそ絶対正義の加護が輝いていると思い込んでいる。
 そして、勝手に思い込まれたところで他人の視点から見ればただただ醜くみっともないだけだ。

「こんな辱めを受けたのは初めてザマス!!」
(日常生活でザマスとかいう口調の奴本当にいるんだ……)

 独りよがりに怒り狂うマダムを前に、ゴノウはどこか他人事のように思っていた。

 何故マダムが怒り狂っているのか。
 それは、彼女が不注意で店内にて食器を落として割ってしまったことに起因する。
 客が少ない喫茶店コンティニューでは珍しい事件で、この時点では特にトラブルにはなっていなかった。

 きっかけは、ゴノウが食器を割った原因がなんなのか不思議に思ったことである。
 今現在の店のルールでは、使用後の食器は席に置きっぱなしにしてもらう形にしている。店員が後で勝手に回収して洗うからだ。食器返却棚のようなエリアを作り忘れたからというのもなくはないが、今までそれで困ったことはなく、客も文句を言わなかったのでずっとそのようにしてきた。

 ところがマダムは注文後の食器を何故かカウンターまで持ってこようとしたらしい。
 しかも、鞄とタブレット端末を持ちながら不安定な姿勢で。
 結果、横着が祟って彼女は食器を割ってしまった。

 一応、ゴノウの店ルールでは食器を破損させた場合は弁償して貰うことになっている。
 とはいえ安い食器を使っているので弁償代金自体は本当に大したものではなく、代金支払いにもマダムは普通に応じていた。当然である。この時点でゴノウに非はない。というか、その後も非があるかと言われるとない寄りだ。
 しかし、このときのゴノウの言葉がマダムの何かを傷つけた。

『タブレットを持ちながら食器は持たない方がいいですよ。怪我すると大変ですし、うちの店は食器は置いたままでいいので』
『……るわよ』
『はい?』
『そんなことッッ!! 言われなくてもッッ!! 分かってるわよぉぉぉぉぉぉぉぉッッ!!!』

 突然の豹変、からの逆説教の開始である。
 まるで発狂したように理性の感じられない目で叫び散らすマダムに、ゴノウはなんだこいつと思った。

『言われなくても誰だって分かっていることを何度も何度もしつこくしつこくこっちが下手に出て謝ってるのにネチネチとぉ!! 言われなくても分かってるのよこっちはぁぁぁッ!!』

 と、繰り返すこと四回。

『貴方には臨機応変って言葉が頭にないザマスか!? 貴方みたいに頭が硬くて物事を理解出来ない愚かな接客者は初めて見たザマスッ!! どんな店に行ったって貴方みたいな愚かな教育を受けた人間いなかったザマスッッ!!!』

 と、繰り返すこと五回。

『私も接客業をしていたことはあるザマスけれどねッッ!!! この程度のこと言われるのは当たり前のことザマスよッッ!!! 若くて経験がない貴方には理解出来ないでしょうけどねぇッッ!!! この程度のことにも柔軟に対応できなくてこの仕事をやっていけるとでも思ってるザマスかぁッ!!?』

 と、繰り返すこと四回。

 その間、カウンターをバンバン叩いてサルかチンパンジーのような威嚇を披露すること十二回。

 それは説教と呼ぶには余りにも内容が稚拙で、シンプルに唯の逆ギレであった。

 合間に隙を見て謝罪もして、支離滅裂な言い分に可能な限り肯定の意を見せてみたものの、謝罪するタイミングまで気に入らないとごちゃごちゃ文句を言う始末。
 ただ怒り狂ってストレスを発散したいだけなのが見え見えの説教以下の何かをマダムは延々と撒き散らし続けたので、ゴノウはその中身空っぽの言葉を受け流してこのマダムを出禁にするかどうかを内心で検討し始めていた。

 そもそも、余計なことをしたのはマダムである。
 ゴノウの記憶の限り、割ったとは言われたが謝罪はなかったし下手にも出ていなかった。
 助言は確かに余分な気遣いだったかもしれないが、別に普通の説明である。

 しかし、マダムは勝手にプライドを傷つけられたのか正義の鉄槌を目の前の悪に下さんと盲目になって怒り続ける。マダムにとっては聖戦だ。ゴノウから見ると一人で勝手に怒り狂っている変な人だし、おかしいのもずっとマダム一人なのだが。

(てか、嫌な客との接客がどうとか言ってるけど、自分がその馬鹿みたいな客になっていることについては何一つ違和感ないんか……)

 己を客観視できない大人ほど滑稽なものはないなとゴノウは思った。
 ただ、もしかしたらこのマダムは戦前はまぁまぁ裕福な暮らしをしていたのかもしれない。
 戦前から転落したプライドの高い元上流階級が信じられないトラブルを起こす、というのは近年ではそれなりによく見るニュースではある。一時期はそうした人間を馬鹿にする風潮もあったが、それはよくも悪くも金持ちだった部分が悪目立ちしていた側面もある。

 この格安喫茶店を利用するくらいだから、少なくとも裕福ではないだろう。
 彼女の人生が転落した理由については知り得ないことだ。
 ただ、人は自分が余りにも惨めだと耐えられなくて周囲を敵視する。
 そのことを、先だっての襲撃騒ぎでゴノウは思い知った。

(ま、このマダムが武器を持ちだして暴れ出す訳でもないなら、暫く頭下げてうんうん頷いてりゃいつか怒りが持続しなくなるか。論理の通じない人間とは喋るだけ無駄やもんな)

 相手が憎い相手だと思えばこそ、その一挙手一投足を批難できる。
 反応の碌にないマネキン相手に説教をしていれば、いずれ自分の行動の空しさに気付くだろう。

 案の定、ゴノウがほぼ謝罪を発さなくなったまま数分間経つと、なにか自分のなかで理論が通ったのか意味不明の涙を目に浮かべながら「こんなに熱く語る気はなかったんザマスけどね」などと何故かナルシスティックに自分を美化し始めた。

 まぁ、一応そういう地雷があることは分かったし、逮捕されたあの昔の友人のようなものとは性質が異なるだろうから出禁にまでする必要は無いかもしれない。
 なにより代金は弁償も含めてきちんと払ったし、今はああでもこれから何かの変化で余裕を取り戻せば、案外そう悪い人ではないかも――と考えた刹那、店の防犯システムが静かに点滅を始める。

 マダムが店を出て姿が見えなくなってからゴノウがシステムを確認すると、客の顔を認識するシステムが先ほどのマダムについてのデータを表示していた。

 マダムの喧しいキンキン声を避けるためにカウンターの下でヘッドホンを耳に音楽を聴いていたクストスがむくりと立ち上がって横からデータを覗き込んだ。

「オヤジ、これなんの表示?」
「あー……うちと同じ防犯システムを扱っている他の店であの客は同じことしてるから、今の騒ぎがトドメになって迷惑客登録が確定しましたって内容やな」
「登録されるとどうなんの?」
「この防犯システムを取り扱ってる店全てで注文も決済もできんくなるな」

 マダムの大騒ぎに辟易していたクストスはにたぁ、と笑う。

「出禁じゃん。いいことじゃん」

 厳密にはこの登録は決済サービスを経由して解除する手段もあるのだが、あのマダムに自分が異常者扱いされた事実を受け止める度量があるのかは微妙である。
 迷惑客は来なくなって万々歳ではあるが、 ゴノウは歯切れが悪い返答をした。

「……まぁ、うん、そうね」

 何故歯切れが悪いかというと、直近で彼女が同様のカスタマーハラスメントを行なった店に貧しい人は足も運べない高級店がそれなりにあり、家族でトラブルを起こしたこともある生粋のクレーマーだったことだ。しかも戦争で失っているケースの多い夫どころか孫まで健在で戦争のダメージなどまるで関係ないことまで、システムは懇切丁寧に教えてくれていた。

(俺の勝手な勘違いでしたかぁ……情けかける必要性ゼロですかぁ)

 成程確かに、己の過ちを認めるのはなかなか恥ずかしいものである。

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