人はいろんな夢を見る。
朝に起きたらもう覚えていないだけで、本当は沢山の夢を見ているらしい。
覚えている夢は、決まって起きる前の夢だ。
今日もわたしは夢を見る。
夢の中にはファンタジーの勇者様がいる。
勇者とはなにか。勇気ある者は勇者と呼ばれるが、その世界の勇者は生まれたときから魔王を倒す宿命を背負わされ、逃げられない運命に紐付けられ、いつも泣いてる勇者だった。
あるときは友達を魔物に殺されて泣いていた。
あるときは母親を悪党に攫われて泣いていた。
あるときは国の騎士に無理矢理鍛えられて泣いていた。
でも勇者は、自分が世界を救うのに必要であることを正しく認識していた。
夢の内容は激化していく。
好きになった国の姫様の期待を裏切り、戦いに負けて拷問を受ける。
かばいにかばった姫はというと、もう勇者に興味をなくしていた。
国から勇者に授けられる筈だった秘宝が何故か消失し、勇者が怒られた。
実際には地方の貴族が勇者が紛失したと嘘をついて自分の懐に入れていた。
国にこれだけは実行しろと魔物の親玉の討伐を任された。
攫われた母親が改造されて魔物になっていて、殺すことを急かされていた。
わたしはいつも、その様子を端から見ている。
哀しい物語や酷い物語くらい、漫画やアニメで見ることはある。なので特別感情移入することはない。夢の中なので、ぼうっと見てるだけだ。ただ、勇者という割には押しつけられたことが多くて使いっ走りみたいだなとは思った。
勇者はいつも泣いていたが、最後には決断して役割を全うした。
しかし、全うしても勇者は幸せになる様子がない。
真の勇者になるための試練で人としての感覚を失っていく。
圧倒的な強さと引き換えに化物呼ばわりされ、民に石を投げられる。
酷い人間が多いのは実は魔王によって人の心の闇が擽られているから。
人の心が本当に闇に染まってしまう前に、勇者は魔王を倒さなければならない。
なんだそりゃ、と、少し思った。
わたしにだって悪い心はいろいろある。一番ダメだと思っているのにやめられないのがサボり癖で、サボった挙げ句に責任を誰かに押しつけて逃げてしまう。そのせいで友達じゃなくなってしまった人も何人かいる。
じゃあわたしは魔王に操られているのだろうか。そんな訳はない。人は最初から嫌なことから目を逸らしたいし、悪い事をしたら隠すか正当化したい生き物だ。
全ての正しさを受け止めて全うすることなどできない。当たり前の感情だし、それを悪い事だと反省するのも当たり前の感情だ。勇者にひどいことを言った人々は悪い人に見えるけど、わたしの日常で時折見かける人達とそこまで違うようには見えなかった。
じゃあ、別に魔王なんて倒さなくても良いのではないか。
倒したとて倒さなかったとて、人の心に変わりはない。
苦しみすぎて髪が白髪に染まるほどの重圧を引きずって進み続ける勇者は、なんでそんなに世界の為の正しさに拘るんだろうか。
世界は別に勇者を救うわけでもないのに。
あるときわたしは足を引きずって伝説の剣を杖代わりに進む勇者に話しかけてみた。
「しんどくない?」
「え……女の子?」
勇者が返事したのは意外だったが、だから何、という考えは浮かばず夢の筋書きをなぞるように聞き続ける。
「そんな生き方、しんどくない?」
「辛いなんて、言ってられない。世界のためなんだもん。僕は勇者なんだもん」
「なんで言っちゃダメなの?」
「なんでって……勇者は弱音を吐いちゃいけないんだ。みんなの希望なんだ」
「勇者って勇気のある人って意味でしょ。周りの目を気にして言いたいことも言えないのってビビリじゃない? 勇気なくない?」
「きみ、すごくひどいこと言うね……」
勇者はショックを受けていた。
自分でもひどい女だと思うが、夢のわたしは迷いも躊躇いも抱かない。
「そんなにボロボロになって毎晩泣きながら頑張って、それでなにかリターンあるの?」
「世界が平和になるよ! これ以上の見返りがあるかい!」
「だからってここまで誰にも助けられず苦労する必要ある? わたしなら嫌だな。周り全然感謝してないじゃん。タダ働きみたいだし、そもそも世界の運命とか背負いたくないし」
「誰かが背負わなきゃならないならぼくが背負うと決めたんだ。それがぼくの勇気なんだ!」
「そう思わされてるだけで、実際にはいじめられっ子の席に騙されて座らされてるだけじゃない?」
「きみは……なんでさっきから、そんなひどいことばかり言うんだ!」
「だってきみがしんどそうだから」
人は楽な方に流れる。
こたつに入ったら出たくないし、一度クーラーをつけたら涼しさから抜け出せない。二度寝は魅力的だし、夜の間食もやめられない。しんどいことは後回しにしたいものだ。わたしも後回しにする派だ。だから、一度勇者に聞いてみたかった。
その生き方、しんどくないかと。
「ふつう世界の運命ってみんなで背負うものなのに、なんできみは言われるがままにハイハイ全部背負っちゃうの? ふつうに重量オーバーだし断捨離した方が良いよ」
「ダンシャリ?」
「いらないものを捨てること」
背負えないものまで背負うからぼろぼろになるのだ。
いらないものは捨ててしまえばいい。
本当に大事なものなら他の誰かが拾ってくれる。
「まず国からの指図。いらないね」
「勇者として辿る道を示してくれてるんじゃないか!」
「道と行き方と注意点示して案内人つけてくれればそれでいいじゃん。なんで報告に何度も戻ってこいとか、プラスアルファの変なお願いとか、おつかいという名の実質的な命令まで請けてるの?」
ゲームならお使いクエストにはリターンがあるが、この世界の連中は碌な見返りを用意しないので、よく続けるものだなと思っていた。そもそも勇者の親が魔物にされていた件も、よくよく考えると王を守るご立派な騎士団でも何でも使えば勇者じゃなくても解決可能だったような気がする。
どっちにしろ親は死ぬが、わざわざ自分の手で殺めることはないだろう。
「次に王女にプレゼントとか用意してるけど、無駄だからいい加減に縁を切りなさい」
「あのお方はぼくのせいで失望したんだ。でも頑張ってればいつか見直して……」
「くれなーい。きみの思春期的勘違いです」
王女は明らかに勇者に興味がないが、勇者が自分に好意を寄せていることに気付いているのか当たり障りのない程度の善意は向けてくる。でもわたしから見るとあれは脈のない男をあしらってるような感じだ。
頑張っても好みじゃないものは好みじゃない。
彼女が好きなのは隣国の王子様である。
「最後に、世界を救う使命を捨てなさい」
「出来るわけないじゃないか! 世界を覆う暗雲を晴らせるのは、それこそ勇者だけだ!!」
「だめです」
「なんで!!」
「だって、続けてたらあなた死ぬし」
馬鹿で子供なわたしにだって分かる。
彼の無茶は彼の寿命を絶対に縮めているし、限界に見える。
自分の命と刺し違えて魔王を倒し、死後英雄として讃えられるとかそんなものだろう。でも死んだら人はそこまでだ。死ぬまで働くのは真面目とは言わないと、わたしは思う。
「重い荷物背負いすぎ。そんなの無理矢理背負っててもしんどいだけでしょ。ちょっとはしんどくない生き方を考えたら?」
「それは、甘えた生き方だ!」
「一人の人間になんでもかんでも背負わせて自分たちはそんなに手伝ってくれない人達は甘えてないの?」
「そんな……人は、いない!!」
変な勇者だと思っていたが、ちょっとは自覚があったらしい。
明らかに目が泳ぎ、動揺していた。
勇者が苦労しているのは、他の人間の苦労を背負っているからだ。
背負わせた側は暢気なものである。
「あなた一人くらいサボった程度で世界が終わったりはしないって。というわけで、これ没収ね」
「あっ」
勇者の懐にある勇者の剣を勝手に引き抜く。
思いのほか重くて持つのに手こずったが、そのまま剣を崖の下に放り捨てる。
「怒られるのが怖いなら逃げちゃいな。ずっと逃げてれば有耶無耶になることもあるよ」
「……きみは、なんで」
「?」
「なんでそんなにぼくに優しいの?」
勇者がぽろぽろと涙を流す。
彼は、口ではなんのかんの言いつつ、本当は最初から責務を投げ出したかったようだ。
わたしはすぐに答えた。
「優しくないよ。わたしは魔王に心を弄ばれるまでもなく、ただ単純に怠惰で嫌なやつなのです。きみがそれを優しく感じるなら、きみも本心では楽して生きたいだけじゃない?」
ふと、脈絡もなく意識が遠ざかり、視界が白くなっていく。
夢が覚める合図だ。現実が戻ってくる。
「あっ、待って――!!」
勇者がこちらに手を伸ばしてくるが、当然待てない。
せめて愛想でも振りまいておくかと申し訳程度に手を振った。
そうして朝が来る。
「……勇者、あの後どうしたかな」
明晰夢を振り返り、寝ぼけ眼で疑問を持つ。
もしあの勇者がどこかの世界に存在していたなら、あの勇者が責務を投げ出したことで一つの世界が終わってしまったかも知れない。しかし、一人の子供の女の言葉程度で終わる世界なんてないだろう、と楽観論が疑問を埋め尽くした。
ただ、明日の夢に出てくる勇者はどうなっているのかは、少し気になった。
甘言で勇者を惑わし、堕落の道に誘う。
さしずめわたしは悪の魔女だろうか。
へらへら笑いながら布団を出て日常を送るうちに勇者とのやりとりは自然と頭から薄れていき、わたしはまた日常に戻っていった。
同じ夢の続きを見る事は、二度となかった。