戦争が始まったのはいつからだったろうか。
中学一年生の頃だったから、今から二十年前になるだろう。
数十年前には既に存在が確認されていたという怪物、『異生物』との戦争を見据えて国家は学生にも戦いの正当性と義務を刷り込んでいたし、事実として『異生物』との戦いはいつか起こると誰もが思っていたから、徴兵令が下っても不思議には思わなかった。
当時は知らなかった。
小中の給食に政府の指示で恐怖を抑制する薬物が混ぜられていたなんて。
友達とは「遂にこのときが来たな」とか「人類の敵を全員ぶちのめそう」とか、「装備品は最強なんだから苦戦なんかしない」と談笑し、戦うの時を待っていた。
しかし、戦争に綺麗とか楽勝とか、そういうのはない。
年寄りの数十年前の思い出話は正しく教訓だったのに、俺たちはそれを受け取りそびれた。
そもそも気付くべきだった。
未知の怪物を退治するのにどうして「戦争」なのかと。
『異生物』には高度な知性があったのだ。
地獄。
他に言い表しようのない、地獄だった。
『異生物』には人間のセオリーが通じず、軍部の当初の戦略はまったく物の役に立たず、補給線は寸断され、上官との通信は途絶え、俺と同級生達の部隊は戦線投入から一週間と経たず孤立した。
後になって思えば、仕方がなかったとしか言いようのない想定外の連続。
でも中学生という未熟な精神と肉体の持ち主達にとって、そうは思えない。自分だけは誰かが死んでも助かる筈だと根拠のない自信を唱えるための心を支えていた、政府に盛られた薬物が補給の寸断で切れたとき、ちゃぶ台をひっくり返すように事態は最悪に転がり落ちた。
最強と聞いていた武装はエネルギー切れ、弾切れ、故障、破損……すぐにガラクタの寄せ集めと化し、有効な武器は近接用のブレードくらい。パニックになって逃げ出した同級生が『異生物』に食い殺され、密かに好意を寄せていた女子は不平不満を怒鳴り散らすだけの目障りな置物になる。残り少ない食料を独占しようと目を血走らせて仲間を撃ったのは、学校の隣の席でよくバカ話をした友達だった。
正当防衛の名の下に同級生を輪切りにした一つ上の先輩。
どうせ死ぬならと集団で女子に性的暴行を加えた後輩。
昨日までこの場を乗り切ろうと皆を鼓舞し、翌日に貴重な物資とともに失せ、数日後に無惨な残骸となって見つかる仲間。
限界だった。
全てが、限界だった。
『異生物』と戦っている筈なのに、味方が全員化物に見える。
理性という薄皮一枚の裏に隠されていた本性が、すべてぶちまけられていた。
結論から言うと、俺は逃げた。
戦いが嫌になって、仲間を信じられなくなって、現実に絶望して逃避した連中と同じように、同級生と呼ばれたおぞましい怪物から逃げ出した。
俺は他の連中よりは冷静だったらしい。
あからさまに危険な場所を避け、時間をかければ『異生物』から逃げられる場所は時間をかけて必死に我慢し、開戦前に教官に「死にたくなければ死ぬ気で走れ」と言われ、矛盾してるとかパワハラ野郎だとか同級生と愚痴りあったことを思い出しながら食料も水も口に出来ない戦場を逃げ続けた。
戦場のど真ん中を命令無視で突っ切る、無謀極まりない逃避行。
死にたくない、死にたくない、死にたくない――人のありふれた欲求が脳内を満たした。『異生物』を相手に狂ったような雄叫びを上げてブレードを振り翳したことくらいは、覚えている。そこから先のことは知らない。
気がついた頃には、俺は病院のベッドで母に看病されていた。
終戦したと聞いた時には、何の冗談かと思った。
俺が去ったその後、残された同級生達は「戦いに勝利する以外に道はない」と英雄的な覚悟を決めたらしい。彼らは歴戦の戦士たちも次々に散っていく戦場を補給もなしにブレードだけで駆け抜け、『異生物』の指揮系統の中枢である『女王』を、夥しい犠牲を払って殺したそうだ。
彼らは英雄と持て囃されていた。
生き残った英雄達に全員見覚えがあった。
死んだ英雄達の大半にも見覚えがあった。
あの絶望の戦場で、最後まで希望を失わなかった同じクラスの同級生たちだった。
彼らの顔を見た瞬間、戦場の全てが一瞬で頭の中に蘇って胃がひっくり返ったかと思うほど嘔吐した。
何で生きてる、何で戦勝パレードで笑っていられる。
あの地獄を一緒に見てきたのに、なんで俺はこうなんだ。
お前達が英雄だからか。
俺が、そうではないからか。
戦いの前、同じクラスで笑い合っていた仲間達が、別の生物に見えた。
戦後、俺は命令違反を咎められることはなかった。
というより、一体どの部隊が誰の下した何の命令で動いていたのか確認することが出来ないほど軍が弱体化していたというのが正しい。何故かは知らないが、俺は隠れた英雄ということになっているそうで、勲章までくれた。
軍に残らないかと聞かれたときは、即座に断った。
戦場を見る前ならば流されて頷いてしまっていたかも知れないが、今、それは絶対にないと心の底から思えた。
同級生達は俺に会いにこなかったし、俺も会おうとしなかった。
会えば何を言われるか、恐ろしくてしょうがなかった。
逃げた臆病者、英雄のなり損ない、お前が代わりに死ねばよかった……自分自身を罵倒するための言葉が次々と湧き出てきて、苦しいのにどこにも吐き出す場所がなく、更には戦場で負った心的外傷も手伝って正常に生活できるようになるまで五年はかかった。
今、三〇代になった俺は戦後の混乱で需要の伸びた何でも屋をしている。
今となってはすっかり田舎と化した地元で、大戦争による文明の退廃によって政府の管理や防衛が行き届かなくなった場所での何でも屋だ。人々から感謝されてやりがいがある。でも心のどこかでは、同級生がいつか自分を偽善者だと罵倒しに訪れるのではないかと怯えている。
「……しんどいな。生きてるって」
二十年の時を経て、人と『異生物』の戦いは終わっていない。
しかし、俺が地獄を見た『第一次戦役』で得られたノウハウと反省点を洗い出した母国は対『異生物』装備を大幅に強化し、数世代の技術発展を経て『異生物』との戦闘を優位に進め、今では一般人が『異生物』に怯える事態は殆ど起きていない。
あのとき、俺がいたあの戦場にこれがあれば――。
そう思い、かぶりを振る。
英雄になれなかった俺は、もしも時が巻き戻ったとしても一生あの戦場を駆け抜けられはしないのだ。