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輪郭を失ってしまった君だけに子守唄を

 書く作業に限らず、何かを作り出すとはとことん自分と向き合う行為だとひとつ前のノートに書きましたが、気が乗らない時と「俺はやるぜ!」のテンションとの落差がどうにも激しい今日この頃です。


 作品をアップするまでに推敲に推敲を重ね、何度も繰り返し読み、ここは語尾を「した」にするべきか「だった」にするべきか「る」にするべきか考えながらまた読み込み、接続詞は「は」なのか「を」なのか、「が」なのか。はたまた「。」で区切るべきかを声に出して読み。
 時間を置いてまた読み、違和感が無いか探し、段落や行間を模索し…なんて作業を日々繰り返し、その間に度々訪れる「これ面白いのか?」の疑問を乗り越え、そして投稿ボタンを押す。
 こうして、改めて文字に書く起こすと我ながらけったいな趣味楽しんでるなあという気分です。


 持ち運び出来るキーボードの効果も相待って、安心毛布の製作が楽しくて。
 でも、こう…書きたい気持ちはあっても文字にならない時があって。書き手の皆さん、そう言う時、どうされているんでしょうか。

 私の場合、ひたすら向き合って向き合って頭の中から捻り出すか、近所のカフェでぼーっと過ごすのがテッパンと化しています。

 案の定、今日もどうにも煮詰まってカフェに避難していたのですが、店の隅のテーブル(角席で背中が壁だと落ち着く)でノートとスマホを広げて、両肘をテーブルに付いてただただテーブルの隅をじっと見つめて過ごしていました。
 書くときは人目があるとダメなんですが、煮詰まってる時は程よく人の気配があって、その中で孤立していると気持ちの整理がつき易いような気がしていて。
 「現実」という箱と「店内」という箱と「その中で一人の客」という箱と。更に頭の中にある「作品」という箱と、その作品の中にいる「登場人物」という箱と。
 そうして、幾つもの箱を『一番外側』から眺めている自分、という立ち位置に立てることで見えてくる視点があるのかもしれません。

 あと、こうして近況ノートにただ思いつくまま言葉を吐き出すのもとても救われている。本編のように推敲がひつようないという意味で非常に有難いです笑
 気分転換の甲斐もあってか、今いい具合に浅生が降りてきてくれてるので今夜はもう少し先へ進められそうです。


 これは余談ですが、安心毛布と睡眠薬にはそれぞれ(勝手に)テーマにしている曲があって。没入したい時に延々リピートして聴いていたりします。 
 安心毛布のイメージソングの歌詞を本日のタイトルに残したので、興味のある方はぜひ調べて頂いて聴きながらも楽しんで頂けたら幸いです。

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