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血となり骨となる

 早くも一月が終わろうとしていますね。
 
 年齢を重ねる毎に時間の経過を早く感じるのは、経験値が上がり新鮮味が薄れるというのを良く耳にします。
 産まれたばかりの頃は、「1年/0才」で全てが未経験なことが年を追う毎に「1年/10才」、「1年/25才」、「1年/◯才」と、実年齢分のなかの1年に変わっていくので、体感スピードも年々上がっていくのだとか。

 平日は仕事をして、週末に溜まった家事をして。
 その隙間時間でこうした活動をして…となると、つくづく制作とは自分と向き合う作業なんだなあ実感します。


 実は、少し前に知人に小説を読んでもらう機会があって。
 興味を持ってもらえるだけでもとても有難いのに、読んで、感想まで送ってくれてとても言葉にならない思いでした。
 時を同じくして、何度か交流させて頂いたことのあるカクヨムでの某作家さんも、レビューをもらえて嬉しいとご自身のTwitterで呟かれていて。
 自分の作り出したものが、見知らぬ誰かに届いて、その人の心や考えや日々の中にほんの少しでもそれまでに無かった『何か』を残せたら、それは最高に幸せなことなんだろうな、と。


 言葉って、それまでその人が生きてきた時間の積み重ねだと常々私は思っていて。
 どの場面で、どの相手に、どういうニュアンスで、どういう言い回しで伝えるのか。
 いつも、そんなことを考えながら作品の登場人物達にセリフを言ってもらっています。

 友人からの感想で『頭の中にドラマみたいに浮かんできて』とあって、それが非常に嬉しかったですね。
 ひとつ前の近況ノートで想像の余白について触れていますが、頭に映像が浮かぶ=文章を通してその人が過去に経験し記憶や体験を元に「絵」として浮かぶ、ということなので、冒頭の経験則の話にもあるように、言葉を通してお互いに『重なる時間』があったのかな、と。

 もちろん、これは知人に限らず、ご縁があってこの作品を読んでくださっている方々にも同じく感じています。
 読んでくださって、本当にありがとうございます。読んだよ、とハートを押して頂ける。この言葉が誰かに届いているんだなと、すごく励みになります。


 
 最近は、限られた時間の有効活用しようと、持ち運び出来る折り畳み式のワイヤレスキーボードを購入しまして。
 仕事の休憩中や出勤前のちょっとした隙間に、カクヨムに向き合える時間を持てるようになりました。嬉しい。
 スマホとキーボードとネタ帳と。
 後は、重ねた時間の分、早さを増した日々の中で、どれだけその瞬間その場面で自分が感じたこと、体験した出来事を切り取って、糧にして、言葉として落とし込めるか。

 そう思うと、忙しなさに忙殺されそうなこの毎日もなんとか乗り越えられるような気がしています。


 あ、一番に欠かせないものを忘れていました。
 カフェイン。接種量が大幅に増えて、ほぼ主食と化しています。

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