かつみんとたかしくんのせいしゅんゆうじょうものがたり。
敵も味方もいません。
みんな青春のど真ん中で藻掻いて苦しんでそれでも生きようとしているだけです。
あえて言うなら『社会』が敵。
彼らの苦痛や悲哀は、大人になってしまうための通過儀礼みたいなものです。
僕はもう大人になってしまったと思い込んでいる少年が伏木勝巳。
俺はあんな大人になんかなれるかとぐれている少年が糸辺隆。
私はごくごく普通の大人になんかなりたくないと拒絶した少女が園原まゆみ。
私は彼と一緒に普通の大人になれたら良いなと儚く願っている少女が相原つづみ。
ADAMASTORは単なるきっかけに過ぎません。
未熟な彼らの可能性が交錯し激突する、その発端に過ぎません。
『また明日』と言う何気ない別れの言葉が、いかに愚かしく傲慢で怖ろしく哀れな台詞か、伏木勝巳は思い知らされました。
おしまい。