次に目を覚ましたとき、今度の自分は五感を伴っていた。
石造りの床、辺りは湯気が充満していて、浴槽も見える。
ここは風呂……なのか。そういえばあの光は『サービスで素敵なところに飛ばしてあげる』と言っていた。確かに風呂は気持ち良く、落ち着く場所だ。
今の俺は裸だ。遠慮なく入っていいのなら素敵なことだろう。
しかし、ここは誰かが所有する風呂のはずだ。得体の知れない自分が急に現れたとなると、不法侵入になってしまわないだろうか。
こそこそと様子を伺うべきだろうか。いろいろと思案していると、─────扉ががらりと空き、全裸の少女と目が合った。
少女は驚いて目を丸くしている。黒髪で肩までのショートカットで、ここは異世界なのだろうが日本人に見える。整っていて優し気な顔立ちが引きつっている。程よく膨らんだ乳房に、すらりとした腰元のライン、そして澄んだ肌色は健康的で若さの魅力に溢《あふ》れている。
――って、まじまじと見ている場合じゃない。あの光の言っていた『サービス』はこっちのことだったのか! 『死なない程度に堪能《たんのう》なさい』とも言っていたな! いやいやいや堪能するのはいいが、逃げ場がない!
「いやああああ!」
ああ! 少女が洗面器を大変良いスタイルで構えて、野球選手もかくやというフォームからのアンダースローで洗面器が抉《えぐ》るような回転を伴い繰り出された! 逃走もガードも間に合わず、俺の胴元にストライクど真ん中で食い込んだ。
く、食い込んだ!? 骨が折れているのか激しく痛む。血が出て止まらない。少女が強いのか、俺が弱すぎるのか。倒れこむが、激痛で動くことさえままならない。
「あらあらあら大きな声が聞こえましたが、どうかなさいました?」
薄れゆく意識、朦朧《もうろう》とした視界に、もう一人のグラマラスな金髪ロングの女性が入ってくる。
「ト、トワルデさん! わ、私つい投げつけちゃって。どうしよう、どうしよう……」
「これはこれは。ええ急激にレベルアップして力加減に失敗するのはよくある話です。しかし、この方は……。いえ、説明は後ですね、すみやかに完全回復しないと命に障ります」
「『プライム・ヒーリング』!!」
眩いばかりの光が放たれると同時に、きっと助かるだろうと気持ちが緩まって、俺はそのまま意識を手放した。
――そして目を覚ますと、そこはベッドの上だった。服も着せられている。
むくりと起き上がり、辺りを見回すと、先ほど俺に洗面器を投げつけた少女が腰かけて読書をしていた。どう見ても日本人の顔で異世界らしき旅人の格好をしているから、ミュージカルを見ているかのような違和感がある。まぁ俺も似た恰好なのでお互い様なのだが。
「ここは……、俺は……」と呟くと、少女も顔を上げた。そして即座に立ち上がり、腰を90度に曲げて「ごめんなさい!」と謝ってくる。
「いや、不可抗力であっても、見てしまった俺が悪い。当然の反応だと思う。俺も何とか助かったみたいだし、そう謝らなくてもいい」と場を納めようと宥《なだ》めるように語りかけた。
「あたしも昨日あの場所に転生したから、また転生者が同じように来る可能性を思い当たれば冷静になれたはずだったのに、本当にごめんなさい!」
少女は引き続き申し訳なさそうに話す。思春期の少女なのに、自分の裸を見られた相手にちゃんと謝れるのだから、すごくしっかりとした子だと思う。
って、今転生とか言っていたな。それに少女の話す言葉が日本語に聞こえる。口の動きだって一致している。日本語が異世界でも共通語のはずもないのだし。
「じゃあ、お前も転生者で、日本人なのか?」
「うん、あたしは守屋《もりや》 千由希《ちゆき》。君のことはもう『鑑定』で見ちゃったけど、かざ?はり、正臣《まさおみ》くんなんだね」
「ああ、風張《かざはり》は出身地の独特な地名なんだ。言いにくいだろうから、マサオミでいい」
「うん、分かった。ん? 出身ってことは転校とかしてたの?
「ああ、転校、ではなくて就職のために上京か。俺の生前は学生じゃない、32歳のサラリーマンだった。転生後は青年になれってことで、16歳にさせられた。お前はどうなんだ?」
「そ、そういうこともあるんだ……。あたしは転生前も今も17歳だよ。うーん、年下だけど年上だから敬語の方がいいのかな」
「いや、見た目が同年代で敬語ってのも変だから、タメ口でいい。
それで、ここはどこなんだ。風呂があって、こういう客を泊める部屋もあるとなると、何かの施設なのか」
「ああ、ここは教会だよ。そうだ! 目を覚ましたから、トワルデさんに知らせないと!」
「トワルデさん?」と首を傾《かし》げる。薄れる意識の中で、その名前を聞いた気もする。
「ここの教会のシスター長さんだよ。あたしを保護してくれているの。マサオミも同じように保護してくれるって言ってたから、挨拶しに行こう!」
一度死に掛けるアクシデントはあったものの、転生して間もなく日本人と合流して、しかもそいつは異世界で保護を受けているという。何とも狙ったかのように事態が上手く運んでいる。あの転生の光はここまで見込んで転生地点を決めたのだろうか。神の代理ならば、それも可能なのかもしれない。
いずれにせよ、好都合な展開には違いない。チユキの案内に従って、礼拝堂から「施設長執務室」と掲示された部屋にたどり着く。