「光秀と秀吉は価値観が違いすぎてライバルになりえない」

秀吉を演じる佐々木蔵之介さんの言葉だが、なるほどなあと思った。実際、麒麟がくるでは光秀と秀吉はライバルというより、先輩と後輩、あるいはお客様と本家筋といった感じの、実に複雑な描かれ方をしている。今もって、「秀吉にとって光秀とはどのような存在か?」に明確な答えを出せる者が誰一人いないような間柄であるように思える。そしてそれがまた、さもありなんといった感じの説得力ある演技で語られるものだからたまらない。

ただ個人的には、今回の大河でこれまでと最も違うのは、「光秀がいつから信長に仕えるようになったか」が甚だ曖昧に描かれている点だと思う。ずっと麒麟がくるを観ていた方ならわかっていただけると思うが、光秀がいつから信長に仕えるようになったか、さらには現時点で本当に織田家家臣団の一員なのか、本気でわからない物語になっている。そして、これこそがまさにさもありなんである。実際、光秀は義昭と信長の二君に仕えていた時期があったのだから、本来、こういう物語でなければならない。そしてそれが、上述の秀吉との複雑な関係をもたらす原因となっていることは言うまでもなく、そうした点において、史実の細やかな部分を忠実に描いた作品であると強く感じる次第です。

あと二回か。本能寺の変だけやたら詳しく描いて、天王山はサラッと流す予感しかしないけど、それはそれでまあ仕方ないのかな……。

2件のコメント

  • Tonksさん。

    麒麟がくるもあと僅か。どこで麒麟が出て一気にひっくり返せるかが実に気になりますね。どきどきしてます。

    麒麟が来るの隠れた良さは、どの時代も情報を欲してやまない描写ですね。SNS無かったら、兎に角どの陣営も足で稼ぐと、それはそうだろうなと。

    そういう私も信長モノ書いていたら、情報得るためのシーン多いなと。これはSNS時代だから気付いた視点かなとも。

  • 判家様

    コメントありがとうございます。

    出ますかね、麒麟。私はこの物語、麒麟は最後まで出ないものと思っています。乱世に麒麟がくることを希求し続けた光秀は、ついに麒麟を目にすることなく去ってゆく、というラストになるのではないかと予想しています。

    情報については、たしかに秀吉、家康ともに細作を使いこなしている描写が活写されておりますね。家康のそれ(菊丸)ばかりが目立って、光秀が使っている細作の実像が見えないのが少し残念ですが……。

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