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花さそふ嵐の庭の雪ならでふりゆくものは我が身なりけり

標題のうたは西園寺公経(1171-1244)の作で、小倉百人一首の96番目のうたです。
いまのわたしの気分を表すのにぴったりだと思って取り上げました。

公経は栄華の頂点を極め、永逝するまでついぞ没落することはなかったようです。
そんなでもこんなうたをよむのが人の性なのでしょうか。

また、話しは変わって、荒井由実(松任谷由実)の初期の曲である「曇り空」を久しぶりに思い出しもしました。
知らない方でもおよそ察しが付くんじゃないかしら。

涸れない泉のように気力がこんこんと湧き出て、小説などの作品をむさぼるように読み、迷惑にならない程度にコメントを出来たらそれに越したことはありません。
元気があれば何でもできるかもしれませんが、肝心の元気がないときは商売上がったりです。

こんなわたしですが、小説もそれ以外の文章もいましばらく読み続けたいと思っているので、どうぞよろしくお願いします。

さて、突然な思いつきでアンケートを取りたいと思ったので、願わくば回答されんことを。

問 わたしの書く文章でもっとも良い(マシ)と思うものは次のうちどれですか?

① 和歌
② 俳句
③ 川柳
④ 随筆(エッセイ)
⑤ 近況ノート
⑥ コメント(レビューコメントや応援コメント)
⑦ その他(具体的に言ってくださると助かります)

6件のコメント

  • こんばんは。

    この歌、はらはらと散る桜の情景としみじみと老いを感じる哀愁が美しく、好きな一首です。

    私は主に和歌を拝読しているのでやはり和歌が好きです。俳句につきましては無知で未だその良さがあまり分からないので今後学びたいなとは思っています。
    コメントもいつも丁寧で、頂くと嬉しいです。

    元気がないとき、読むのも書くのもしんどいですよね。青丹さんは長くカクヨムでの活動を続けられていてすごいな…と思っております。
  • 和歌です。

    古典の深い知識とオタクな感性が合わさっていて実に面白いです。
  • 葵 春香さん

    こんばんは。
    コメントとアンケートへのご協力ありがとうございます。

    わたしはかつて、勅撰集が編まれていたころのうたは似通ったものが多くて退屈だと思っていました。
    しかるに神は細部にやどるとは言ったもので、このうたも、同趣旨のうたはあるかもしれませんが、特に上の句の独特な表現が光っていると感じます。

    こう言うと何ですが、わたしはコメントが長くなりがちな自覚があります。
    簡潔な散文を書くのが、小説の作家ほど上手にできていないのだろうと思います。

    声澄みて北斗にひびく砧《きぬた》哉《かな》 芭蕉
    傾城《けいせい》は後の世かけて花見かな 蕪村

    俳句はひとことで言えば庶民文化の花です。
    芭蕉はわたしがもっとも尊崇するひとで、芭蕉を抜きにして俳句を語ることはむなしいと思います。
    蕪村はもうすこし都会的でやや観念的ながら、芭蕉の志を受け継ぎつつ新境地をひらいたと評したいです。

    わたしの元気のみなもとはずばり、食事と睡眠です。
    とにかくカロリーや栄養を摂り、睡眠時間を確保することを考えています。
    エナジードリンクは苦手で飲みませんが、栄養ドリンクは重宝しています。
    しかるに最近は体調不良に悩まされていて、食事をかなり見直さねばと思っているところです。
    ひとむかしまえまで飲酒が趣味のようなものでしたが、小説や漫画を読んで、このような場で同好の士と交流することをわが主たる娯楽にする方向で考えています。

    カクヨムで長く活動しているのは、新しい環境に適応する能のなさなどもあってのことで、もう少し新しいものに興味を持つのが望ましいと自分では思っています。
    野心もあって活動を続けているわけですが。

    こんなでこの歳まで生きて来られたのはほとんど奇跡だと思います。
    わたしの周囲のひとびとがしているであろう苦労がしのばれて心苦しくなります。
    自分のちからで生きてきた自分だけの生命ではなく、まさに生かされてここまでやって来た命にちがいありません。
  • 朱鷺 鴻二さん

    コメントとアンケートへのご協力ありがとうございます。
    またこの場を借りて、わたしの作品や近況ノートを読んでくださることに改めて感謝いたします。

    自分をオタクと規定する気はありませんが、オタク的な人間であるとは言えるでしょうね。
    分野はアニメ・ゲーム・アニソン・漫画・和歌・俳句・一部の小説・日本語といった感じになるでしょうか。

    わたしの読書量は中途半端でしょうが、古典和歌と古典俳句の知識に関してはひとに誇れるレベルにあると自任しています。
    目を通した作品の量は一般人の千倍や一万倍以上・すこし詳しいひとと比べても百倍くらいは読んでいるつもりです。

    和歌は俳句にくらべるとやはり自由ですね。
    長歌をつくるのに習熟していないのは悔やまれますが、季語は要らないし本歌取りし放題ですし、31音もあれば意外といろいろ表現できるようです(ワンパターンなところがあったり、字余りや字足らずをしまくったりしていますが)。

    ひとのこころを種とする和歌はオタク文化と意外と相性が良いのかもしれませんね。
    わたしにとって和歌は、わたしが好きなものを好きと言うための武器でもあります。
    この国にはいろんな分野のオタクがいるようですが、そのひとたちが本格的に和歌をよむ訓練を積めば、つぎつぎに傑作が出来るにちがいないと考えるのは変かしら?
  • 和歌です。

    随筆、近況ノートも楽しく拝読させていただいていますが、やはり研鑽が深い和歌と俳句が素晴らしい。

    俳句にも青丹様の思索、思惟が込められていると思いますが、短歌の方がよりわかりやすい形でそれが伝わってくるので好きです。

    素人なので、じっくり味わったり、余白を想像したりするのは苦手です。←小説書きの言うことか!と書きながら思いました。

    わかりやすいのが好きです。←すみません、詩を読む資格がないかもしれません……。


  • みらいつりびとさん

    コメントとアンケートへのご協力ありがとうございます。

    研鑽が評されて、これにまさる喜びはありません。
    和歌や俳句はわたしが生きるための、いわば精神の糧のひとつです。
    誰がどう言おうとも、★の数のような数字に表れずとも、少なくとも当世において自分の域に達せる者はほぼ絶無だと、鼻息も荒く息巻いております。
    井蛙の自覚もないではなく、故人にはまだまだ及ばないに相違ありません(故人はかつての現代人《いまびと》です)。

    コメントを下さった方の3人中3人が和歌と答えるのだから、やはりそれが本領なのかしら。
    俳諧師(俳人)の松尾芭蕉が、歌人の西行や連歌師の宗祇を尊崇したように、わたしは芭蕉を尊崇しつつ遂に歌道を選ぶのかもしれませんね。

    読む資格がないとは思いませんが、想像力はあるに越したことはないにちがいありません。
    ですがあまりむずかしく考えずに、読みたくなったら読むというふわっとした感じでも良いように思います。
    なんせ趣味なのですから。

    わたしもむかしは分かりやすいのが好きでした。その名残りで、いまでも江戸狂歌が好きです。
    パロディーなども文芸の楽しみのひとつにはちがいなく、ちからを入れたいところです。

    わたしの課題あるいは定めは、雅と俗との融合、ふるくてあたらしいものをよむことなのでしょう(創作とはそういうものだと言えばそれまでですが)。
    幸いにも日本はオタク文化の家元で、材料はいくらでもあります。

    わたしの目には、小説(とりわけ長編小説)を書けるひとが超能力者・異能の持ち主にみえます。
    わたしが小説投稿サイトを軸にして活動している理由のひとつは、小説を読み書きするひとに自作品を認めてもらうことです。
    わたしにとって小説は文芸のなかの文芸、小説家は文芸家の代名詞のようなものなのです。
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