• ラブコメ
  • 詩・童話・その他

第三回近況ノート小説 『少女の多い料理店』

 金曜夜の電車はひどい混雑で、どこか楽しげであったり憂鬱であったりと様々な人々が狭い金属製の車両に押し込められている。給料日後最初の金曜日は誰も彼も飲みに行こうという気勢であり、なんとか飲みを逃れた身としては若干の後ろめたさを感じていた。
 とはいえ、今週はひどい残業続きでろくに眠ってもおらず、食事も缶詰と白米だけであったので、今日くらいはまともなものを食べ、そしてアルコールもなくぐっすりと眠りたいものである。風呂に入らないのは女としてどうだろうかとも悩ましいが、どうせ一人暮らしの独り身なので、誰に気を遣うこともないだろう。とにかく今は食欲が最も暴れているので、早急に心も体も癒される何かを胃に入れる必要があった。
 しかし今から料理をするのも億劫だ。惣菜や弁当を買うのもいいが、どうせならもっといいものを食べたい。例えば、焼肉とか、すき焼きとか。
 ふと、今月は冬のボーナスが支給されたことを思い出した。これだけあれば、『ひとや』の高級焼肉コースを食べることができる。熟成肉が持て囃されるご時世だが、あえて新鮮な肉を使ったフレッシュな味を楽しめる店だ。少し遠いところに店があるのが難点だが、どうせ明日は休みなので小旅行のつもりで行くとしよう。
 実はもうひとつ大きな問題がある。『ひとや』は完全予約制であり、食材がない日は休業することがあるのだ。
 すっかりその気になってしまった私は電車を降りるとすぐに『ひとや』に電話し、今からでも問題ないということを確認して、今から向かうという旨を伝えた。久しぶりの『ひとや』に楽しみが隠しきれず、私は一度家に帰って車に乗り、ATMで冬のボーナスをおろして『ひとや』がある県境へと向かった。



 県道からさらに逸れた山道は、ところどころ舗装が欠けていて走りにくい。それでもここはまだ使われている道であり、ここからもう少し経てばもう使われなくなった道――――つまり廃道となるので道はもっとひどくなる。とはいえ、簡素ではあるがバリケードがあるため車両は通行できず、私はそのバリケードの近くで車を停め、懐中電灯片手に真っ暗な廃道を歩き始めた。
 普段ならば絶対に歩きたくない道だが、この先に絶品料理が待っているというなら話は別である。思い出しただけでもよだれが出てきそうになり、腹の虫が大きく呻いた。
 しばらく荒れ果てた道を歩き、私は雑草で道が半分埋もれているようなトンネルへと辿りついた。入口はビニールシートで塞がれているが、その隙間からこちらを覗く目が見えた。その目は私の顔をじぃと見て、それからその目の主が姿を現した。
「ああ、小池さん。お待ちしておりました。お久しぶりです」
 ビニールシートの裏から出てきたのは、なんともこの風景に不似合いな割烹着の女性である。彼女こそ、この知る人ぞ知る料理店『ひとや』の女将だ。
「お久しぶりです、女将さん。突然すみません」
「いえいえ、最近お客さん少なかったから、丁度良かったですよ」
 さぁどうぞ、と暖簾のようにブルーシートが捲られる。その奥にももうひとつブルーシートがあり、二重構造で中の光と熱が外に漏れないようになっていた。
 ここは使われなくなったトンネルを利用した焼肉屋であった。カウンターがあり、座敷席もある。普通の店と違うのは、解体ショーのための小さなステージがあることだろうか。
「今日は何にされます?」
 そう訊かれ、私はここに来てもなお悩んでいた。焼肉もいいし、すき焼きもいい。刺身という手もあるだろう。全部食べるのもいいが、そうすればこの冬のボーナスは全てなくなってしまう。が、しかし、でも――――悩みに悩んで、私はボーナスをなかったことにした。
「今日は奮発して、すき焼きと焼肉、あとお刺身も」
「かしこまりました。それでは、今から解体始めますので少々お待ちください」
 そう言って女将はトンネルの奥へと消えて行った。奥にはさらに壁が作られていて、その壁にあるドアの向こうへと入って行ったのだ。
 もう私の食欲は臨界点であったが、これから待つ柔らかいお肉を思えばなんとか我慢できた。これから食べる料理は、間違いなくここでしか食べられないものなのだから。
 やがて、ドアの向こうから女将が戻ってきた。その手には金属製の鎖が握られていて、その鎖はドアの中へと繋がっている。女将が鎖を引くと、ドアの向こうから手枷をはめられた全裸の少女が怯えながら出てきた。やや痩せているが体は綺麗に洗われており、それでいて肌の弾力は保たれている。髪が金色に染められてはいるものの髪質がよいのか不衛生な印象は少ない。Cカップかそれ以上ありそうなので高校生だろうか。今時の中学生は発育がよいので十代前半もあり得る。何が起こるのか理解していない少女の視線と私の視線が交差して、私は思わず微笑みかけた。
「え……なに、ちょっと。なにするの、ねぇ」
 少女が戸惑いの声を漏らすが、女将の力には逆らえない。女将は着痩せするタイプなのでそうは見えないが、十年前は女子プロレスの選手だったそうだ。少女は手枷が外されたと思いきや天井から垂れる別の手枷に片腕ずつはめられ、両手を上げて万歳するような形になった。
「この子、どこ産ですか?」
 私がそう訊ねると、女将は記憶を辿るように首を傾いで、
「たしか、千葉県産です。二週間前に男二人女三人の五人でここに肝試しに来たのを捕獲しました」
「へぇ、今の子もまだ肝試しなんてするんですね」
「さすがに油断してました。まぁ暗闇に紛れれば五人くらいならわけないですよ」
 えへん、と可愛らしく胸を張って見せる女将(三十六歳・独身)。ただ一人混乱に飲まれたまま天井に吊るされる少女の怯えきった顔が最上の前菜だ。
「ご、ごごごめんなさい。もう来ません。許してください。ごめんなさい、ごめんなさい」
 足首まで固定され、とにかく嫌な予感がしたのだろう、少女の口から思いつく限りの命乞いが溢れだした。この段階で食材の反応は基本的に三種類ある。この少女のような『謝罪型』と、「冗談ですよね」と現実を受け入れられない『逃避型』。そして最後は何も考えられず失禁して気を失ってしまう『無抵抗型』だ。稀にこの期に及んでも強気で吠える食材もいるが、それが最後に見せる絶望の表情は観ているだけで極上のスパイスと化けるのだ。
「ではまずお刺身から。部位はどうなさいますか?」
 女将がカウンターの裏から取り出したるは、それはもう立派な牛刀である。私たちの会話とその牛刀で、自分が俎板の上にいることに気付いた少女は、力の入らない腹で揺れるような悲鳴を絞り出した。
「うーん、すき焼きと焼肉にも良い肉はとっておきたいしなぁ……とりあえず腿肉にしようかな。右腿で」
「かしこまりました」
 慣れた手つきで女将は少女の脚に手を這わせる。冷たい牛刀の先端が腿肉に触れると、少女は体を揺すって泣き叫んだ。
「ごめんなさい! ごめんなさい! もうしません誰にも言いませんお願いです許してくださいお願いですごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさ」
 直後、声にならない悲鳴が轟いた。トンネルの奥までそれが届いていたのが、まだ奥にいるであろう食材たちの悲鳴も混ざっていた。
「いだい! やだぁ! やめ、やめで」
 ぞり、ぞり、と肉が削がれる。その度に言葉にならない悲鳴が漏れて、彼女の体が大きく揺れる。腿肉が切り取られると、彼女はそのまま失神してしまったようであった。しかしそれではつまらない。食事は目と耳と舌で味わうと、どこかの偉い料理人も言っていたような気がする。
「女将さん、目が覚めるお薬お願いします」
「はい、かしこまりました」
 腿肉を持ってカウンターの裏へ。俎板の上に肉を置いてから、女将はガラスの冷蔵ケースに入れられていた細い注射器をひとつ取り出した。その注射針を気絶した少女の首筋に突き立ててプランジャを押し込むと、十秒ほど経ってから少女は体を大きく震わせて意識を取り戻した。
 これは女将特性の気付け薬だ。何が使われているかは知らないが、とりあえず毒性はないだろう。心拍数を低下させ、失血死しにくくする効果もある。使用後は痛みが鈍るので最初のような悲鳴は聴けないが、これはこれで楽しみがあるというものだ。
 カウンターに戻った女将は包丁で腿の皮を剥ぎ、その三分の一ほどを滑らかな手つきで薄く肉を切って行いく。透けて見えるということはないが非常に薄く、口の中でほろほろと溶けるのを想像するともう待ちきれない。
「お待たせしました、千葉県産女子高生の腿刺しです」
「待ってましたぁ」
 箸を手に、短い祈りを。いただきます。
 薄い肉をつまむと、その揺れで肉の柔らかさがよくわかる。運動部少女のしっかりした肉質はそれはそれでよいが、やはりこのやわらかとろとろのインドア肉だろう。
 まずは薬味を使わず、醤油もつけずにそのまま齧ってみる。牛や豚とは違う独特の臭みがあるが、それがたまらない。口の中で柔らかく崩れる肉の旨味に、私はこの一週間の疲れが吹き飛ぶのを感じた。
「うん、やっぱ肉は人間だよね……」
 次はおろした生姜を肉で包んで、醤油をつけて口に入れてみる。生姜が肉の臭みを和らげ、肉の歯ごたえを味わわせてくれた。
「焼肉はどの部位に致しますか?」
 次の準備を始めた女将に、私は刺身を口の中で味わいながら頭を抱えた。さすがに人間一人は食べきれないのでどの部位を選ぶのかは重要だ。余った部分は熟成肉にしたり燻製にしたりするので無駄になるということはないが、目の前で解体された肉を食べられるのは今ここだけなのだから。
「とりあえずカルビと、あとイチボ。それと……あ、コブクロも」
「かしこまりました」
 再び取り出される牛刀。少女は首を横に振りながら、なおも命乞いを続けていた。
 女将は牛刀を少女の右の肋骨へと滑らせる。乳房の下から刃を入れて、腹の方へするりと肉を削ぎ落した。
「あ、ああ、なんで、痛くないの、なんで、それ、私の」
 先ほどとは違い痛みを感じず、しかし失われた自分の肉が確かにそこに存在するというギャップに少女は混乱していた。痛みを伴わないことでより現状を把握することができたのか、恐怖のあまりに失禁し、店内に小さな水音が響いた。さながら清水の流れる小川のような心地よい音で、待ち遠しい春の訪れを連想させた。
 その表情を見つめながら、私は刺身を口にする。生姜でなくて山葵もよい。つんとした辛みが清涼感を生み出すようだ。
 女将はカルビを手早く処理すると、それを焼くための七輪の用意を始めた。暖房代わりにトンネルの入り口で焚かれていた木炭を少し七輪に移して、それをカウンターに置いた。木炭が燃える良い香りが、さらに食欲をそそらせる。
 女将がカウンターに戻ると、すぐにそれは私の目の前に現れた。ほどよく脂ののった、極上の人間カルビだ。
「千葉県産女子高生のカルビです」
「美味しそう……」
 すでに薄くタレがまぶしてあるその肉を、私は心を躍らせながら網の上に置いた。すると、すぐにタレが焦げる匂いと肉が焼ける匂いが混ざり合って上昇気流で吹き上がり、私の鼻をダイレクトに刺激した。もう堪え切れない……が、まだ食べるには早い。きちんと火を通さねば、月曜日に欠勤の旨を病院から伝えることになるだろう。
 残っていた刺身の最期の一切れを口にし、意識は完全に焼肉へと移行した。そうして私がじっと肉を見つめている間に、女将は再び牛刀を手に少女のもとへ。次はイチボを切り出そうと、刃先が少女の尻に深く突き立った。
「え、やだ、やだよ……なにしてるの、やめて! お願いだからやめて、ごめんなさい、ごめんなさい!」
 ぞりぞりと削がれる尻肉。そのまま齧り付いても美味しそうだ。少女は首を後ろに向けて状態を確認しようとするが、自分の尻を見ることは難しいだろう。
 その様子を見ているうちに、網の上のカルビはしっかりと火が通っていた。焼きすぎて硬くなる前に私はそれをタレにつけて口に頬張り――――牛よりもずっとクセのあるその味に、私は思わず絶頂しそうになってしまった。
 普通に焼いただけでは脂の臭みが強すぎてこうはいかないだろう。通常食肉には向かないとされる人肉の、その脂をこうも綺麗に統率しているのは、女将特製のこのタレだろう。数種類のスパイスと香草をブレンドした醤油ベースの漬けダレが、肉の味を見事にまとめ上げるのだ。
 舌で味わっている内にイチボが仕上がり、私の前に出される。見るからにぷりぷりな尻肉は若干厚めに切られており、最後のカルビを口にしてからその肉を網の上に載せた。

 女子高生のイチボをたっぷり堪能している間、女将はすき焼きの準備をしていた。使用される肉はロース肉で、少女の背中はすでに肉を削がれている。
「さて、それではそろそろ」
 ある程度すき焼きの用意が終わった女将は、お待ちかねの部位を用意するために再び牛刀を手に取った。生きたまま解体するという性質上後回しにせざるを得ないが、これこそがこの『ひとや』での最大の楽しみと言えよう。
「それじゃぁ、コブクロ用意しますね」
 そう言った女将は、今まで着けていなかった厚手のエプロンと、さらにゴーグルとマスクを装着し、最後にゴム手袋を手に嵌めた。少女は朦朧としながらもその異変に気づき、何度も聞いた謝罪の言葉を口にしながら首を横に振り続けた。
 その白い腹に、牛刀の刃先がやや深く沈む。切れ目から血が少し吹き出し、女将のゴーグルをわずかに汚した。
「やだ……死にたくない、やめて、やめてよ……」
 差し込まれた刃先はゆっくりと下に降りて行く。それが臍のあたりまで到達すると、腹に詰まっていた大腸と小腸がずるりと腹膜を破って外に飛び出した。
「うあ……」
 床に広がる自分の臓物を見て、少女の顔に諦めが広がるのが解った。もう絶対に助からないと、それを悟った顔。私は下腹部の疼きを感じて内股を擦り合わせ、よく火の通ったイチボを口に頬張った。
 女将は腸を全部引き摺り出し、余裕が生まれた腹に手を入れた。そして、ひとつの丸い臓器――――子宮を鷲掴みにし、膣を切断して腹から取り出した。
「おや? 少し大きいですね。これはもしかすると……」
 カウンターに戻り、女将は少し膨らんだ子宮に包丁を入れる。卵巣を切り離し、子宮警部から器用に刃先を入れ、真っ二つに。
 中から出てきたのは、羊膜に包まれた小さな胎児であった。妊娠三ヵ月くらいだろうか。辛うじて顔のパーツの存在が判るほどで、しかしまだとても小さい。
「小池さん、運がいいですね。これを食べられるなんて」
「胎児は食べたことないんですけど、どうやって食べるのが一番なんですか?」
「やはりそのままが一番です。羊膜に小さな穴を開けて、そこに口をつけて上を向いて、羊水ごと一気に飲み込むんです。唐揚げもいいですけど、せっかく新鮮な胎児ですから」
 どうぞ、と差し出される羊膜に包まれた胎児と果物ナイフ。私は恐る恐るそれを手に取り、まじまじと観察した。
「やめ……て……ころさ、ない、で……」
 少女は息も絶え絶えにそう言うが、こんな珍味を目の前に止められるはずがない。
 果物ナイフで羊膜に穴を開け、割れる前に口元に運ぶ。上を向いて少し絞ると、ずるずると羊水が喉に流れ込んできた。その直後に、ずるんと滑らかな舌触りがあり、それは心地よい喉越しを残して胃の中に消えて行った。ほっとする重量感が胸に残っているが、もしかするとこれが命の重さというものなのかもしれない。
 私がどれだけ幸せそうな顔をしていたのか自分で派確認することができないが、女将は私の顔をみて嬉しそうに微笑んだ。
「次回も胎児料理をお食べになるなら、今度は胎児を仕込んでおきますよ。今回偶然オスも手に入りましたからね」
「本当ですか? じゃぁ今度は唐揚げで食べようかな」
 今からもう楽しみで仕方がない。次は夏のボーナスになるだろうが、これではいつまで経っても貯金が貯まらないわけである。



 さて、こりこりのコブクロも堪能したところで、いよいよお待ちかねのすき焼きである。すでに焼肉で腹九分目といったところだが、甘いものは別腹だ。
 ここ『ひとや』のすき焼きは、割り下を使わない関西風のすき焼きである。関東風に比べてやや甘みが強く、濃厚な味わいを楽しめるものだ。
「それでは、脂を敷きます」
 女将は私の前に鍋をセットすると、そう言ってから「忘れてた」と言って牛刀を取り少女の前に立った。
「脂を忘れてました」
「え……?」
 牛刀は少女の乳房の先の方を切り取り、女将は乳首と乳房の一部を手にして鍋へと戻ってきた。そして、厚く熱された鍋に乳首の切断面をつけ、それを菜箸でゆっくりと伸ばしていく。
 乳房は上質な脂身だ。世の男性諸君が齧り付きたくなる気持ちはよくわかる。熱された脂の香りは満腹に近い状態でも食欲をそそり、まだまだ食べられそうな気さえしてくる。
 よく脂が敷かれたら、薄く切られた女子高生のロース肉とコブクロから切り離した卵巣を鍋に敷いていく。脂と脂のダブルパンチといった感じだ。思うに、脂身は人間の健康にあまり寄与しないが、そういった不健康なものこそ美味しいものである。美食は罪かもしれないが、罪を抱えて生きることこそ人間らしさなのかも知れない。
 肉に火が通り始めてきたら、今度は砂糖を投入する。砂糖と言ってもここで投入されるのはよく使われる上白糖ではなく、茶色く粒が大きい中双糖だ。中双糖の方がコクが強く、味にアクセントがつく、らしい。
 最初にこの工程を見た時は驚いたが、少し入れすぎではないかというほど砂糖が入るのだ。関東人には信じられない光景であったが、今ではこの甘いすき焼きはお気に入りである。卵と絡めると甘みがマイルドになり、より深く味わうことができるのだ。
 次に醤油とみりんと酒を足していく。現時点ではかなり濃いが、この後に白菜を入れるので、その水分によってほどよい濃度に希釈されるので問題はない。
 全ての具材が揃い、後は煮えるの待つだけ。白菜から水分が出たらもう食べ頃だろう。
「それでは、いただきます」
 十分機が熟し、私は鍋に手を合わせて箸を手に取った。
「っと、その前に」
 すき焼きの影の主役は、なんと言っても卵だろう。本当なら少女の卵子を大量に集めて潰してそれに浸けて食べたいところだが、鮮度も量もクリアしなければならないというのは尋常ではない。仕方なく鶏の卵を使うが、将来的に少女の卵子ですき焼きできるかどうかは『ひとや』女将の技術と情熱次第だろう。
 鍋から主役であるロース肉を一枚すくい、それを溶き卵にドリップする。甘い汁と脂が黄色い海にじわりとひろがり、やがて混ざり合って肉に卵が纏わり付く。それを掬い揚げ、ゆっくりへ口へと運び――――そして、口内に革命が起きた。
 砂糖の甘さと肉の甘さが相乗効果を生み出し、シンプルな味の威力を見せつける。甘く濃厚。強いコク。それらを優しく包み込む溶き卵。押し出る甘さとそれをマイルドに押さえようとする卵の力が、絶妙なハーモニーを舌の上で生み出していた。
「はぁ……生きててよかった……」
 思わずそんな感想が漏れ出すが、食材である少女の方は生の実感も虚しくこと切れていた。ありがとう、名も知らぬ少女よ。私はあなたのお陰で、今とても幸せです。
 次は卵巣に手を出してみる。ウズラの卵のようなそれは箸で裂けるほど柔らかく煮込まれ、私は旨を躍らせながらそれを口にした。
 ほろほろと口の中で溶けていくような柔らかさ。どこかペーストのような食感に、汁の甘みにも負けないまろやかさがある。生命エネルギーの凝縮を感じるような気もするが、さすがに気のせいだろう。
 もちろん野菜も負けてはいない。ありふれた味でも、それらはきっちりとこのすき焼きという一つの世界を支えている。女子高生の柔らかい肉をじっくりと堪能するためには、なくてはならない存在だ。



■  ■



「ごちそうさまでした!」
 空の鍋に手を合わせ、心からの感謝を示す。お粗末さまです、と女将ははにかみ、私は生の充足を全身で味わった。
「いやぁ、美味しかったです。千葉県産の女子高生、なかなかいいですね」
「あと二人いますから、もっとベストな状態にしてキープしておきますね」
 そんなことを言われてしまっては、やはり次も来ないわけにはいかない。今度は今まであまり食べたことのないメニューを食べよう。揚げ物系はあまりチャレンジしたことがないので、胎児の唐揚げの他にも乳房の素揚げなど食べてみたいものである。

 この満足感でお代二十五万円ならば安いものだろう。これはどんな高級店でも味わうことのできない素晴らしい料理だ。
 女将は残った部位を全て削ぎ、冷蔵庫の中へとしまっていく。これらは熟成肉となり、主に地方のグルメ達へ届けられるのだとか。近場の客も買えるが、しかしどうせならここで解体を見ながら食べたいものだ。目で見て、耳で聴くことで美味しさが倍増する。この店の雰囲気もまた、『ひとや』の料理の一部なのだろう。
 少女は頭を残して、後は全て骨だけになった。その姿を見るとどこか寂しい気持ちになるが、これが命を分けてもらうということなのだろう。
「それじゃぁ女将さん、また次のボーナス出たら来ますね」
「またのご来店をお待ちしております。道中お気をつけて」
 女将の言葉を背に受けて、私は肌寒い外へと出て行った。途端に胸に吹き込む風はまるで現実感のようで、じわりじわりと私の心を蝕んでいく。
 あの味を忘れないうちに眠ろう。あの味を糧に生きていこう。人一人を食べた私はそう決めて、とにかく自分の車まで戻ろうと速足で廃道を歩いた。



" My favorite food " Closed...

コメント

さんの設定によりコメントは表示されません