裁判を気にしながらその間筆者は介護事業を志し、ヘルパー2級から主任ケアマネージャ―に至る資格獲得に10年の歳月を費やしました。62歳の時会社を立上げ10名近くのスタッフと数十名のヘルパーを抱え(彼らとその家族を支え)多くの高齢者と障がい者の介護で精一杯働きました。途中長男が見かねて本人も資格を取り私
の後を継ぎ17年間頑張ってくれました。
しかしコロナ禍・人手不足・業績不振・健康等、諸々のことが重なり2021年に事務所を閉じました。でも東京に転居した創立当初の相棒が〔ラベンダーの看板は変えずに残す〕と言って介護の仕事を続けてくれています。有難いことです。
この様に久子さんと筆者はサンパウロと日本(大阪)で30年の間それぞれ同じ時間を過ごしました。