最近は、芥川賞を受賞された九段理江さんの『東京都同情塔』を読んでいます。
(ここをどういう風に使えばいいのか分からないから、とりあえず読書の報告、、)
3分の2ほど読んで、建築家・牧名の脳内会議に共感しまくっています。
私も先日、というか入院中に、
「(日向)ちゃんって、いつも話す時に正解の言葉を探しながら選んでいる感じがする」
と言われたので、無意識的に脳内コンプライアンス会議が行われているのだろうな、と。
前職の職業病もありそう。。
『閉鎖病棟より、愛をこめて。』を書こうと思ったのは、入院中のことでした。
だから、タイトルも入院している側の視点になってます。
本編ないしエピローグにでも近況は書こうと思っているのですが、今日で退院からちょうど1ヶ月経ったので。。
正直な感想としては、「もう1ヶ月か」という感じ。
今日の日記に書いた内容をそのまま載せるのは少し刺激が強いだろうけど、
「これが現実だぞ!!」という戒め?(誰への?)の意も込めて……
【2024年2月12日(月)】
退院して1ヶ月。やっと1ヶ月。もう1ヶ月。
病棟にはもう、私が居た跡なんてなにも残っていないのだろうな。
あの看護師さんたちに頼れないのは分かってる。
でも、寂しい時に「寂しい」って言える相手がいる人って、どれくらいいるんだろう?
その中で、その幸せに気づいている人はどれくらいいるのだろう?
こういう時ってどうするんだっけ?
そもそも、こんな感じってフツウじゃないんだっけ?
私はなんでココにいるんだっけ。
私はなんで、まだ生きてるんだっけ。
あの時*ねなかったからか。
生理によるPMDDと重なって、絶賛メンタル不調気味です。
でも最近は、自分のフラッシュバック/易刺激性の地雷とそうでないものの境界線を探るのが一種の楽しみのようになっています。
・雷▶︎もちろんアウト
・運転してる人のイライラ▶︎調子悪いとアウト
・勤めていた時に使っていたもの▶︎セーフ(社員証ホルダー出てきたけど、懐かし〜wて感じだった)
と言った具合に。
直近で見つけた意外なアウトは、Queenの『We Are The Champions』。
曲自体がどうのこうのではないけれど、Queenが好きだという友人が
We are the champions
We are the champions
No time for losers
'Cause we are the champions of the world
の歌詞がいいと言っていて。
私の頭の中では、オフィスの壁にその歌詞がデザインとして描かれていたことを思い出してひとり食らっていました(笑)
「No time for losers」の意訳はいろんなパターンがあると思いますが、その時の私には元上司や社長に「負け犬に構ってる時間はない」と言われている脳内映像が鮮明に映し出されました。
だからって、泣いたり落ち込んだりもせず、そんなことを考えている自分を鼻で笑うくらいには吹っ切れているので、なんてことのない発見でした。
個人的にはやっぱり「くよくよしている暇はない」の訳の方が好きかな!
明日は社会復帰1歩目に向けての面接もあるわけだし!(想定していたより1ヶ月早まっていて若干の戸惑いはありつつ、、)
結局、何が書きたいのかよく分からない、駄文になってしまいました。
『閉鎖病棟〜』は毎日20時くらいに更新したいと思っているので、読んでくださると嬉しいです。
うつ病の闘病期(わりと現在進行形)なので読むだけで吐き気がするような心情描写もあるとは思いますが……