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読書メモ⑫ & 再公開のお知らせ

 落ちたああああ。うっかりしてたら、第6回暮らしの小説大賞一次選考通過者がとっくに発表になってました。『女は~』『傷つきたくない~』落選です。ら・く・せ・ん~~~~がっくり。
『女は~』自信作なんだけどなあ。どこに持ってけばいいのかがさっぱりわかりません(書いときながら) 次はダメもとでビーズログかなあ(加筆して) こうやって可能性をつぶしていって分析しないと分からないので。
(……なんて考えてましたが、ビーズログの公式HP見てムリッッってなりました。「はっとしてキュンとする恋を呼ぶときめきレーベル」ですって(T_T) なにそれ、おいしいの? オトナの女性向けレーベルはどこ~~???)

 というわけで『女はそれを我慢できない』『傷つきたくない私たちは』再公開します。文章をちょこちょこ手直ししたのを貼り付けて、ぼちぼち順次公開していくので、見かけましたらよろしくお願いします。


 それでは、読書メモです。長くなりそうなので、興味のある方だけお付き合いください。

『ポピュラー文学の社会学』中島昌爾編(世界思想社)

「ポピュラー文学の世界を、読者の側の日常的な経験や読み方・消費のされ方を中心に考えてみたい」「フィクション文化や私たちの空想領域という視点からポピュラー文学を見ていきたい」(「あとがき」より)という二つの理由から企画された一冊。
 ポピュラー文学とは大衆文学です。章ごとにそれぞれの著者がそれぞれの角度から論じているのが面白いです。発行は1994年で元になっているデータは古いかもしれませんが、このままの流れで現在に至っていると思えます。長くなってしまいますが、面白かった章を順番にピックアップしていきます。ご興味のある方はお付き合いください。

「Ⅰ 現代人とポピュラー文学」
「第1章 ポピュラー文学・考」

「大衆文学は生産・消費の形態から見れば商品文学、マスコミ文学であるが、大量性・娯楽性を持つものとして常に純文学との対比において論議されてきた。」(p4より)
 ということで「純文学」対「大衆文学」っていう二項対立に触れてない章はないってくらいに避けて通れない道なのですね、これ。この章では
「大衆文学とは近代大衆文学という性格を持つものであった。高度成長以降の産業・消費・情報の高度化、中流化、全国的都市化にともなって七〇年代にはこれらの構図が次第に力を失っていく。」
と対立構図の崩壊を指摘しています。中間小説の台頭で「純文学論争」が巻き起こるのが1960-1970年代ですものね。
 続けて60年代後半、人気を博した司馬遼太郎の歴史小説の読者の多くが高等教育を受けたサラリーマン層、新中間層であったことに触れ、現代の読者は「新中流読者」であり現代の大衆文学は「新・大衆文学」と言わなければならない、そういう時代を受けて「ポピュラー文学」という言葉を採用したのでそうです。なるほど。
 また「優越的な位置にあった文学と活字文化の時代が終わり、多様なメディア文化の一つとなり、(中略)共通の特質を備える文化として捉える必要があるだろうし、ポピュラーという名称をつけた理由はそこにもある」というふうに、文学の商品化・多様化について述べられていきます。
「エンターテイメントの登場を契機として文学の商品化・消費化が進み、ポピュラー文学の領域的・量的拡大が激しいものとなっていく。読む・考える・批評する対象ではなく、消費する・楽しむ・遊ぶ商品となる。(中略)大量消費時代において「使い捨て」「無駄」として消費されるということである。」(p11より)
「今日では読者の日常と小説を書くことはかけ離れてはいず、書き手と読み手の距離は近い。現代は素人、アマチュアの時代であると言われる。(略)それはますます、軽・文学化していくことを示す。(略)だがそういう軽さは、現代の文化の、私たちの生活の軽さにほかならないだろう。」(p14より)
 出版の1994年当時でこうであったのだから今現在はもっともっと「軽く」なっているわけですね。
 そして、ポピュラー文学は「物語性」が明確であり、それが愛好されてきた最大の理由だとしています。この項で、目からうろこというか、ひっかかったのが以下の部分です
「中島梓は「文学」と「小説」を別のものとし、後者は「物語」と呼んでもいいと言う。前者は近代文学の主流、純文学であり、筋そのものは明快に追えないのが一般的だし、筋だけ取りあげても意味がない。と同時にその物語的要素をはぎとっていったのが純文学である。そういう「文学」に対し、後者の物語性を持った小説は明らかに異質である」(p17より)
としたうえで、物語は神話や昔話などの再話的、伝承的なものであり、個性化されないというのですね。ポピュラー文学はこの物語の系譜を引いていると。「個性化されない」から「読んでしまえばおしまい」「使い捨て」になるのかなって私は解釈しました。でも、そうやって読み捨てている小説(物語)の中にも忘れられない物語ってありますよね。子どもの頃読んだ本だってそうです。読み捨てにされる物語と忘れられない(何度も読み返される)物語、その違いってなんだろう。
「J・G・カウェルティはポピュラー文学を、筋や人物が定型化されているという意味で、純文学と区別して「定型小説」と呼んでいる。この定型は物語の形式や原型につながったものであり、読者はなじみのある定型によって安心して楽しむことができるし、作家は効率的に生産できる。」(p19より)
 テンプレは昔からあるだろうってラノベテンプレ擁護論がありますよね。しかしですね。ここで言われる物語の定型は「自己や他者の行動や人生を説明し理解する形式」であって「現実逃避しているわけではない」「人生や自己と世界の関係についての物語をもとにして生きていく」ためのものだということは、声を大にして言っておきたいです。

「第2章 ベストセラー論」

 第1章の紹介が思いっきり長いので、ここからはサクサク行きたいところなのですが、このベストセラー論も興味深いのです。戦後のミリオンセラー一覧を見ただけでもカオス状態。『性生活の知恵』(1960)『英語に強くなる本』(1961)『愛と死を見つめて』(1964)とその時代に求められてたものが分かります。がんばってはしょっていきますと、「戦後第一期」1946-50には「人間の生き方に対する関心」、「戦後第二期」1953-58には「恋愛とセックスに対する関心」、「戦後第三期」1959-62には「実用的な知識への関心の時期」ということで、60年代にはハウツーものがベストセラーを席捲するのですね。その草分けがカッパブックスであり「サラリーマンに代表される中間層をターゲットにした軽くて実用的な読み物である。」
 ここでも「中間」で「軽く」なのですね。そして作家のタレント化、タレント本の隆盛、角川商法と呼ばれる「本も映画もレコードもヒットさせることを狙った」戦略でベストセラーがつくりだされるようになる。ここでは「メディア・ミックスというよりはメディアの相互扶助である」と論じてます。
「雲の上の存在ではなく近所の仲間や友だちのような存在であることが、タレントとしての必要条件になったのである。そしてそのことは文学作品を多く書く作家、あるいは評論家や随筆家といった肩書きの人たちにもあてはまるようになっていく。」(p40より)
 そしてこの時代に登場した作家たちの共通した特徴として「その作品が芸術的に昇華されたものというよりは饒舌な話言葉で成り立つ世界であり、自己の内面に深くはいりこむのではなく、外見的な描写、衣服やモノで自己や他者、あるいは関係や世界を描き出そうとする点だろう。(中略)先にあげた作家たちの文体は、文学の退行現象としてみることができるかもしれない。」と述べられてます。
 で、この文体について高橋源一郎と富岡多恵子との間で論争が展開されたそうなのですが、この論点をついた解説に、また目からうろこでした。
「加藤典洋はこの二人のやりとりを、小説を書き手の表現行為としてとらえる富岡と、書き手と読み手のコミュニケーション行為としてとらえる高橋のちがいとみている。それはいいかえれば、「書くものとしての小説と読まれるものとしての小説」のちがい、つまり「芸」と「サービス」との対立ということになる。」(p42)
 ワタシ、ここでなるほど~~と思っちゃったのです。サービス! これが私が常日頃から頭を悩ませている「エンターテイメント」ってことじゃないのかしらって。エンターテイメントってサービスなのかなあって。今求められるエンターテイメントに「芸」はいらない。ずいぶん昔に、大御所芸能人の誰かが、芸能人なのに「芸」がなくなってるって言ってたような。小説にも芸はいらないってことかあ、なんて。
 この文学のポップ化(アメリカ化)の流れが村上春樹につながると読み取れるのですけど
「けれどもまた、加藤典洋は、村上春樹の文体が富岡のいう「芸」も高橋のいうサービスも抜きとった、いわば「ナチュラル」と呼べる虚構言語によって成立しているという。(中略)彼はいわば自分に意識された感覚で物語を書こうとする。」(p44より)
 なるほど~~「ナチュラル」かあ。さっきの「個性化されない」「物語」を「ナチュラル」に書ければいいの、か、な(迷走中)
 続いて、毎朝新聞の読書世論調査のベストテンとベストセラーを比較して、売れた本と、おもしろかったと思う本とのズレに触れてます。なんかわかりますよね。売れる本とおもしろい本は違う。「売れる」作品より「読んでよかった」と思われる作品を書きたいですよね。

 二章も長くなってしまったので、あとは本当にざっくりと。

「Ⅱ ポピュラー文学の現在」では「恋愛小説」「ミステリー小説」「サラリーマンの物語」「SFの社会学」「児童文学」「時代小説」の各ジャンルの視点から作品・読者論が展開されてます。
「Ⅲ ポピュラー文学の歴史空間」ではブロードサイドから始まる英国の民衆文芸、中・朝・日の三国を比較しての通俗文芸史、ジャカルタのオランダ植民地時代の大衆小説が紹介されてて、これまた興味深かったです。
 この中のⅢ「第2章 三国「通俗」文芸志」では、これまた「文学」と「物語」として
「もはや「芥川賞」の権威など、見る影もない。ただし、社会そのものの「大衆化」と「中間小説」の風靡は、皮肉なことに、「大衆文学」の発展的解消をも、もたらした。大衆文学―純文学の二元論が、ほとんど意味を失ったのである。」(p227より)
と述べられています。

 どの章でも述べられてることは、文学は「軽く」「消費」されるものとなっていること。そういう時代を受けて純文学もどんどんポップ化して崩れていってるのだろうな。時代時代で純文学論争が繰り返されるのはだからなのでしょうね。
 このまま「文学」という「芸」が失われ、エンターテイメントゆえに最後に残る物語(小説)は、もしかしたらサブカルチャーであるライトノベルだったりするかも!? 『さよラノ』(by Han Luさん)っぽいですね。


 今回は紹介したい本が他にもあるのですが、長くなってしまったのでいったん区切ります。

27件のコメント

  • 『女は~』面白かったのに。
     確かに大人の女性向け作品ですよね。
     小説賞の名前を見たら、う~んってなってしまいましたが。
     どんな小説賞なのか見てきましたが、通過した作品のタイトルを見ただけでも、ちょっとカラーが違うような気がしますが。
     どうなんでしょうねー。レーベルカラーは難しい!

    「はっとしてキュンとする恋を呼ぶときめきレーベル」ですか。
     砂糖吐きそう(笑
  • こんばんは~(*´▽`*)
    「砂糖を吐きそう」と聞いて!(*'ω'*)

    出す前にレーベルカラーをある程度考えたほうが、確かに確率は上がりそうですよね……(><)
    ふだん、小説はあまり読まないので、ぜんぜん分析できていませんけれども……。
    砂糖大量投入の自作はともかく、古代ローマ物はどのレーベルならOKかなとよく悩みます……(><)

    想定読者年齢が高めなら、ビーンズ文庫よりも、集英社のオレンジ文庫などはどうなんでしょうか? とふと思いました(*´▽`*)
  • えーきちさま

     以前はくらしをテーマに絞ってた賞ですが、だんだん間口が広がって前回の応募ではライトノベルも~なんて総評にあったので、いけるかもって思ったのですけど、ダメでした⤵

     年齢自体は大人でも甘々きゃっきゃうふふを好む人が多くて、どこもそういう読者層を狙ってるようなので、私みたいのはどこにいけばいいのやら、です。


    あかつきらいるさま

     こんにちはー。更新頑張ってらっしゃいますね。実は私も今、毎日更新を目標にしてます。場面の区切りのいいところで短くって、そういう書き方をすると自然と文字数が1000-1500ほどになるのですよねえ。よく言われる読みやすい文字数って、書き手の都合じゃんって目からうろこでした(笑)

     公募に向けて腰を据えて書かないとだめかなあとも思うんです。でもなかなかそれも難しいのですよね。集中できる時間が欲しいです。

     楽しく執筆。ほんとそうですね! ありがとうございます。


    綾束 乙さま

     こんにちは~。ビーズログってオフィスラブもあるから社会人女性向けかなって期待したのに「はっとしてキュンとする恋を呼ぶときめきレーベル」(ハートの装飾つき)で、え……ってなりました(T_T)
     そうですね。来年までどうにもならなかったらオレンジ文庫も考えます。ありがとうございます。

     古代ローマ物ならそれこそオレンジ文庫でいけるのではないでしょうか~。ホワイトハートとか。
  • おはようございます(*´▽`*)
    はっ、ビーズログとビーンズを間違えておりました……(><)

    ビーズログにオフィスラブもあるなんて、初めて知りました!
    古代ローマ物でオレンジ文庫……。なるほど、考えてみます、ありがとうございます~(*´▽`*)

    あ、そういえば。かなりお礼が遅れてしまったのですけれども……(><)
    奈月様、かなり以前の近況ノートで、カドカワがウェブ小説を受け付けているという記事を書かれていらっしゃいましたよね。
    去年、それに自作を一つ、応募してみたいんです。結果は無理でしたけれども……。
    でも、公募以外にこんなのもあるんだなーとお教えいただかなければ知れなかったので。
    ありがとうございました~!(*´▽`*)
  •  持ち込み受付のことですね。いえいえ、お役に立てたのなら幸いです。
     こうやって交流したり情報交換できるのが近況ノートの強みだと思ってますので。ワタシはツイッターとかやってないのでなおさらです。ありがたいですよね、近況ノート。
  •  もともと社会性が高いタイプではないのです、私⤵ どちらかといえば一人でぼーっとしてたいタイプで。小説なんか書く人って昔はみんな内向きだったのでしょうに、今は外向きにアピールしなくちゃならないから大変だなって思います。(だから作品もポップ化するのか!)
     読者にとっては嬉しいことでしょうけど。
  •  講談社ラノベ文庫は「対象読者を10代中盤~20代前半男性と想定した」とはっきりしてるのですよねえ。男性向けっていうのが……。でもそうですね、カクヨムでも男性に読まれてたりしますし、今から視野に入れてみます。ありがとうございます!

     セルバンテスは私は様子見です。今後コンテスト開催や公募の受付が始まれば登録するかもです。
  • 『大人の女性向け 小説』で検索をかけた結果……
     何で官能小説ばかりやねん!?
     もっとあるでしょ、そういった漫画も多いんだし。

     何でもありそうなのは『第5回角川文庫キャラクター小説大賞』なんですかねぇ。『革ジャン先輩』出そうかなぁと思っていたんで。
     他サイトや同人誌も発表とみなすってありましたから、そこそこガッチリした公募なのかなぁ。
  •  ね、そうなんですよねえ。いっそ官能めざそうかな……(書ける自信がある自分が怖い)

    『キャラクター小説大賞』は仮にも一般文芸の角川文庫の賞なので、それなりに敷居が高いのかと思ったら、作品の質の敷居は高くなかったという……。去年締め切り間近に受賞作品の試し読みができたのですよ。これってラノベじゃん!ってショックを受けましたよ。
     そのくせ縛りはがちがちなのですよー。前回は作品形式に連作短編って縛りがあり、今回はそれがなくなったと思ったらカクヨムオンリーとかいう縛り。大賞賞金額が群を抜いてますから、即戦力をよこせってことなのかとは思うのですけど。ほんと角川って金で囲い込みでやだー(ここカクヨム!!!!)

     なんて言いつつ、ワタシも間に合えば『鋭敏な~』をぶち込もうと思ってます。webコンの結果が早く出ればいいけど。中間落ちても、コンテスト参加取り消しができないのですよね、あれ。
  • >中間落ちても、コンテスト参加取り消しができないのですよね

     マジっすか!?
     じゃぁ、改稿作業をやっておいて、結果発表後に改稿版をアップしてタグ入れかぁ……中間落ちたらもういいじゃん! キャラ文芸視野に入れて、一巻を15万文字に抑えたのに。

     ポプラの児童文学賞なんてもっと囲い込みが酷いですよ。
     新人(他児童文学賞で未受賞の方)のみ応募可で、受賞したらのち数年は、飼い殺されると言う。
     ポプラ児童文学で受賞したのちに、続編を含む別の本を出した作者を見かけませんが、どうなさっているのでしょうか?
     つばさ文庫のように続編に積極的なレーベルならともかく、一冊出して終わりじゃ泣くになけないでしょ。

     官能は……ちょっと読んでみたいかも(笑
     奈月様の文章なら可能かと思われますよ。と、軽々しく言ってみる。
     あの世界ってもう文章力、表現力がずば抜けていないと話にならない世界ですよね。ライトな官能小説は知りませんが。

     ぴ~とるいじ様の企画、楽しみにしていますよ。
     参加しようかなぁと思っていたら、一人目がラガー様。
     無理無理無理無理ってなりましたよ。
     奈月様も参加されたので、自分参加しなくてよかったぁ~と。
     お二方の文章を推敲する勇気は私にはないです。
     高みの見物しておきます(笑
  •  非公開にすれば取り消しになるらしいので、よその公募コンテストに出すならそれで済みますけど、同じカクヨムからってなるとちょっと面倒ですね。

     ポプラ社ってそうなのですか。すっごい昔のやり方ですよね、それって。さすが老舗。それで育ててもらえるならいいけれど。

     ライトなR18ならpixivとエブリスタに置いてますよ(ダイマ) 長編の一部エピソードですけど。『インモラル』もそっちでは念のためR18タグ付けてあったりします。

     いやいやいやいや。参加させてもらった『青い導火線』は、執筆再開時にリハビリのつもりで書いた過去作のリメイクで。三人称で、視点はブレブレ、心中語入りまくりでちょー読みにくいのです。思い入れもありますし、趣味全開の自己満足作品なのであれでいいとは思ってますけど、手を入れるとしたらどう直せばいいのかなって。自分ではまったくわからないので、人にやってもらえるならおいしいな、と(笑)
     する方としては、どこまで書き換えていいのか加減がわからないので、お手本待ちで。できれば私も全作品に挑戦したいです。
  •  lagerさんのあれは直せないですけどね~。構成もばっちりでしたもん。手を入れるとなったら、エロ増し増しくらいしか。御本人に許可が必要かも(;^ω^)
  •  ワタシ年齢と共にそっち系は受け付けられなくなってしまって。若い頃は平気だったのにー。でも、pixivのR18小説なんか覗くと、昔のやおい作家さんたちは上手だったんだな~~って思っちゃいますよ(遠い目) あんあん言ってりゃエロいんじゃないっつうの。セリフで過激なこと言わせてるだけで描写がなってないっすよ。やたらあえぎばっかだし。

     って、ハズカシー(*ノωノ)
  •  あ、いえいえ。一人でコーフンしちゃっただけで(*ノωノ)

     そもそも官能とか言い出したのは、えーきちさん。
  •  文学論、なるほどと読みました。それはそれとして、興味深いものです。

     でも、僕には別に考えていることがあります。
     作品として最後に残るのは、心に響く物語です。それ以上もそれ以下もありません。源氏物語もハリーポッターも、宮崎作品も残ります。傾向の分析以前に、傾向を作る作品があるのです。仮に社会情勢で封印されていた作品も、封印が解ければまた、花開くのです。

     いいものを書く、それが一番ですよね。
     『女は……』は良いものです。嚢中の錐が貫く先が、どこかにあると思っています。
  • >そもそも官能とか言い出したのは、えーきちさん。

     うわっ、思わぬ流れ弾(爆
     いやしかし、やおいであれ官能であれ百合であれ、本気でその世界を表現するのはやはりそれなりの力が必要だと思いますよ。
    『革ジャン先輩』でも以前書きましたけど、人間には切っても切り離せない事ですから、表現がファンタジーだと興ざめしますからね。絶対に漫画より難しい。

     私と同世代の方々が『昔の方がみんな上手だった』と思うのは仕方がない事です。人の目に留まる為、ストーリーも表現も文章も、漫画で言えば絵も、必死になって磨きをかけていましたから。
     今では文章や絵が下手でも人の目に留まりますし、運がよければ時代の波にも乗れます。
     ライトノベルの出版の際に、編集様に情景描写は不要だから削ってくれと言われたなんて話もどこかで読みました。

     先日の『女神堕落』のコメントではないですが、需要があるから供給があるんですよ。今の世の中は、作者よりも何倍も多い読者が作ってきたんです。
     自由になるお金が少なかった子供の頃。それでも手持ちのお金を払ってでも手に入れたい本があった。今、みんなが手にしている本は、何年も何十年も取っておきたい本なのか。読者の方々はそれに気づいてほしいなぁ。

     と、おかしな発端を忘れて頂くべく、ちょっといい感じに持って行ってみました(笑
  • 油布さま

    >最後に残るのは、心に響く物語

     ですよねえ。そういう良い物語と読者を引き合わせるのが出版社の仕事でしょうにって思います。


    えーきちさま

    >今では文章や絵が下手でも人の目に留まりますし、運がよければ時代の波にも乗れます。

     なので真面目に真摯に書いてる人たちが心折れちゃったりするんですよね。どうすりゃいいんでしょうね、この現状。

    >需要があるから供給があるんですよ。今の世の中は、作者よりも何倍も多い読者が作ってきたんです。

     出版社に限らず、消費者の需要に市場が振り回されてる感じですよねえ、今の時代。なかでも活字に対して求められてるものの質がどんどん低下してるのが怖いですね。AIの開発者が、日本人の読解力は大丈夫なのかってコメントしてたそうですよ。
     それに対して、ファッション関係はまだまだ業界がけん引してるイメージなのですよねえ、パリコレ発ですもん。この違いは何だろう? 素人が小説を書けちゃうのに対して、ファッションデザインは素人にはなかなかできないってことですかね……。

    >表現がファンタジーだと興ざめ

     これ、まったくその通りだと思うのですが! 以前、女性向け恋愛小説でみかける男女交互視点について話したときに、Han Luさんが、男性パートはファンタジーって指摘してくださって。私、カルチャーショックと共にものすごく納得できたんです。舞台が異世界とか現代とかは関係なく、甘々溺愛恋愛とかハーレムラブコメとか、あれはファンタジーかって。フィクションを通り越してるのかって。
     で、今ですね、絵本や児童文学の「行きて帰りし」構造を読み解いてる本を読んでるのですが。この本のまえがきに読書も「行きて帰りし」体験に近いって書いてあって、確かにって思ったのです。でも「行きて帰りし」ならAからBに行ってA’に帰ってこなくちゃならないのですよね。成長できないと。でも恋愛ファンタジーを求める人にとっては使い捨ての一時の娯楽でしかないですよね、どう考えても。

     良い読書体験をしたいなら、自分に何か気付きをくれるファンタジー世界に行かないといけないのですよね。そういう気付きをくれた一冊が宝物になるのでしょう。
  • 「食べられる野草・薬草図鑑」めっちゃあかつきさんぽいです(失礼)

     小説より自己啓発本やハウツー本を読む人がまた増えてるのかな。地区ごとの図書館分室に置いてあるのは、児童書と、あとは実用書ばかりですもん。
     小説の読者が増えて欲しいのですけどねー。
  • |
    |⌒彡
    |冫、)
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    | /

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  • 奈月さんが私の作品をエロ増し増しで書き直してくれるって聞いた気がする
  • っていうか、奈月さんのも直すの難しいですよ。2話まで読みましたけど、どうしたものかなと思ってました。

    視点切り替えと心中語に気をつけて直せばいいんですかね。

    いま、ぴ~とさんの作品をノリノリで魔改造してるので、そちらが済んだら順番に取りかからせて頂きます。
  •  Σ(゚Д゚)

     や、やだなあ。気のせいっすよ:(;゙゚''ω゚''):
  •  推敲の意味、調べちゃうくらい、どこまで書き換えていいのかが分からんのですよね、実は(;^ω^)
  •  ありがとうございますっっ。

    >視点切り替えと心中語

     そうなのですよね。話が進むにつれキャラたちの思惑がこんがらがってくるので、ああいう書き方でないとむしろって思ってはいるんですが、普通の(?)しっかりした三人称で書く人だったらどういう書き方をするんだろうって気になったりするので。
  • そうなんですよね。

    誤字脱字を直すだけなら企画の意味がないですもんね。
    私は開き直ってほぼ全文書き換えてます(^ω^)

    流石にやりすぎた感があるので、怒られたら提出し直す用の控え目バージョンも作っておこうと思ってます。
  •  ですね! せっかくの企画ですから楽しく。ノリノリで楽しくいきましょう♪
  • あかつきさま

     混乱はしないのですけど。作中で交錯してってことですね。修羅場シーンも多々あるので、カメラワークの問題なのだろうな、とは思ってます。
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