ヤマザキ春のパンまつりが始まると、春が近いなあって思います。梅の花も咲き始めました。通学路の砂利道にはもうたんぽぽが咲いてました。暖かい日があったからフライングしちゃったのでしょうか。
そしてカクヨムコン4終わりましたね。お疲れさまでした。ほぼ読専状態でたくさんたくさん読ませていただきました。
参加した自作はまったく読まれず順位も微動だにしませんでしたから(-_-メ)完全なるデバガメ根性でランキングの動きを観察させていただきました。特定の部門に限ってですが、ランキングの下位から上位までヨムヨムしてみて、勉強になった、と思います。
選考員気分できっちり評価したつもりです。順位は下でも私が星みっつを付けた作者さまは自信を持って欲しいと思います。
突発的に投げた短編は、部門別では上位の方にいたりして嬉しい限りです(ゲンキン)。読んでくださったみなさま、ありがとうございました。
ヨムは通常モードに戻し、またカクカクしてまいります。実は書き溜めまったくできてません(爆) いつものごとく突発的な更新になるので、見かけましたらよろしくお願いしまーす。
それでは読書メモいきます。
『大人になるまでに読みたい 15歳の詩⑤ たたかう』和合亮一編集(ゆまに書房)
目先を変えてたまには詩集でも~なんて手に取ってみたのは「たたかう」。
たたかうってさ、結局自分自身となんだよね。でもそういうことって、人に言われたからって分かるものでもないんだけどな。
例えば、茨木のり子の『自分の感受性くらい』。部分的に抜粋します。
「苛立つのを/近親のせいにはするな/なにもかも下手だったのはわたくし」
「駄目なことの一切を/時代のせいにはするな/わずかに光る尊厳の放棄」
「自分の感受性くらい/自分で守れ/ばかものよ」(p23より)
わかります。わかりますよ。ワタシも、生い立ちや環境のせいにする人、大嫌いです。でもこれって、乗り越えたからそう言えるのであって、その渦中にいる本人が聞き入れられるかというと、そうもいかないですよね。自分で気付かないと。茨木のり子は厳しいです。『椅りかからず』とか。
他にも、これ15歳が読んですとんと胸に落ちるのかなあってチョイスが多いのだけど、それは私が大人だからそう感じてしまうのであって、15歳には15歳の受け止め方があるのでしょうね。
『日本語を味わう名詩入門19 谷川俊太郎』萩原昌好編(あすなろ書房)
現代詩人の中でいちばんを選べといわれたら私は谷川俊太郎を選びます。若いころは、やさしい言葉の端々にただよう孤独感に共感しました。さびしさ、やさしさ。それは人が生きるということに繋がる命題ですよね。
それはそれとして、今読むと、マクロをミクロな日常に引き寄せる技術が上手いなあと感じました。『朝のリレー』の「目覚まし時計のベル」もそうだし、『二十億光年の孤独』でも、火星や宇宙に想いをはせた後の「僕は思わずくしゃみをした」という結び。すごいですね。
『おっかさん』では地球を母親、引力を愛情、人間を思春期の子どもと例えています。すごいなあ。
今回は以上です。