『のめりこませる技術 誰が物語を操るのか』フランク・ローズ著 島内哲朗訳
インターネット時代へ向けて、主に映画やテレビやゲームの宣伝・マーケティングについて語られてます。合間合間でディケンズの時代からの小説についても触れてます。一流クリエイターたちの言葉を通して物語をつくるということの本質が読み取れたりもします。
2012年の出版なので最新の分析展望論としては古いのだろうけど、メディアの変遷を辿る読み物としても面白いです。
印象としては、もはや境界が曖昧だってことですね。リアルとフィクション、作者と受け手、メディア業界そのものが混沌としている。
アメリカ人ライターによるのでほとんどの事例はアメリカのものなんだけど、日本のotakuについての考察が見事で笑ってしまいました! 時代を20年は先取りする日本のメディアミックスは凄いといえるのでしょう。その中で日本の出版社として唯一カドカワが名前をあげられてるのですよ~。それがこんな一文。
「しかしメディアミックスも、大企業が推進して展開した戦略というわけではなかった。例えば積極的にメディアミックスを牽引した角川書店は同族経営の出版社であり、その時の社長は薬物密輸容疑で逮捕され解任されてしまった」
この後、ガンダムに話題が移ってしまうのでこの文章の意図がイマイチ分からないのですが……。
ソクラテスは本を読むと馬鹿になると言った。
十九世紀の製紙技術、印刷技術、交通手段の発達は連載小説の市場を膨れ上がらせた。読者の反応を受けて即興で物語を展開させたディケンズの手法は「のめりこみやす過ぎる」と評論家を嘆かせた。
SF映画もそう。アニメもそう。子どもだましと蔑まれ市民権がなかった。
「新しいメディアは、新しい物語は、常に敵視されながらやってくる」(訳者解説より)
だとしたら、ラノベや異世界転生の行く着く先はどうなのか。もう少しで答えは出るのかもしれません。
進化とも退化とも分からない境界がぼやける現状で、クリエイターありきの芸術性・文学性といったものはどこで居場所を得られるのか。それはもしかしたら趣味で創作できるアマチュアの世界でこそ生き残れるのかもしれないと考えてしまう今日この頃です。