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創作の光と影

 毎週金曜日の夜に東京MXテレビで放送されている『仮面ライダーX』が楽しいです。
 今年は人気シリーズ「仮面ライダー」五十周年記念の年なのだそうで、二年ほど前から、初代『仮面ライダー』に引き続いて、二作目の『V3』が放送されました。古いテレビ特撮ということですが、いざ見てみたらこれがおもしろい面白い! 毎週、夢中になってテレビにかじりついていますよ。またMXでは、火曜日にも『マジンガーZ』の再放送などが組まれていたりと、令和の時代とは思えぬ懐古編成になっております。

 で――その『仮面ライダーX』なんですが、見ていると結構過激な表現も多く……
 小学生の子供を、団地に住む大人たちが集団で追いかけ、手にした武器でリンチするとか、その大人たちの集団の中に主人公がバイクで物理的に飛び込んでいくとか(超危険な撮影!)、またあるときは「天才児たちを飛び降り自殺させる作戦」とか……ええ、当時の世相でしょうか? 流行っていたんですってね、「飛びおり自殺」。そういうものも含みながら、いささか毒の強い番組かなと。

 これは前番組の『V3』も顕著で、撮影場所が墓地だったりとか――そんで墓石をポンポン投げちゃう――史跡みたいな場所だったりとか、いささか今やったら怒られるだろうという、そういう「あの時代だから許された」、素晴らしい映像美が楽しめました。特に四国編ロケなんかは、松山城の敷地内をV3がオートバイで走り回るという、いまだったらマジで怒られものの撮影があったりと、まぁとにかく内容映像共に過激なんですわ(笑。

 そんな仮面ライダーシリーズ。当時はどれほど批判されたのかなーとも。
 だってそうでしょう。子供を集団リンチとか飛び降り自殺推奨作戦とか……かなり教育には悪いと思うんですね。メインターゲットの視聴層は低めに設定されていたとは言いますから、ご家庭での反響がどうだったのかは、非常に関心のたかまるところです。

 で、そんなこんなで先週の『X』では、超能力少年のネタがありまして――当時一世を風靡したらしいですね――ユリ・ゲラーの影響でスプーン曲げを行った「せきぐちじゅん」少年が、無意味にゲスト出演したりして……。
 このせきぐちじゅん氏、その後は大麻などの使用で検挙され、その後は行方をくらましているそうですが、まぁ、実際のところスプーン曲げもインチキだったそうで、こういう形で映像が後世に残るというのはいい恥さらしなのかもしれません。

 そういう時事ネタを多分に取り入れながら展開する『X』は、今週――ちょうどこれ書いている今日です――は、ノストラダムスの大予言をネタにしたオカルト作戦回だという。予告によれば、予言にかこつけて東京中で毒ガスをばらまき、都民を狂い死にさせる作戦を悪の組織がやろうとするらしい。

 いやはや、なんともトンチキな内容だなと思ってしまうんですが、ちょっと笑えない。
 当時だからお話になったんだろうと思いますが、こういうことって往々にして真似されるというか、影響受けちゃう人がいるんではないのかと。

 だってそうでしょう?
 思い返してみてください。東京都内に毒ガスをまいて人を殺す作戦――実際にやっちゃった組織が日本にはいた、否、今なお存在し続けていますでしょう? かつて「オウム真理教」という名前で活動した団体のことですが、あれらの幹部の年齢や世代を考えると、確かに仮面ライダー世代ではある……いやいや、もちろん仮面ライダーが直接影響したとは微塵も思わないけれど、そういう「創作物」と「現実」の区別がつかなくなった人間たちの集まりであったことは紛れもない事実なのです。

 なので思うんですよ、ああいう子ども向けのフィクションでも、否――だからこそ、表現には気をつけないと、のちのち大馬鹿なことをやらかす人間を生み出す、その苗床に繋がるのかなとも。
 これはどういうものでも言えることだと思います。今のライダーや戦隊シリーズを私は知りませんが、毎週日曜朝にツイッターで流れてくるネタを見るに、かなり「非現実的」な内容で笑わせに来ている部分が多いとか? これは、考えすぎでしょうが「そういう、子供が真似をしない程度の悪さ」を描くように脚本家も努めているのかなーとか、思ったり。うむ、考えすぎかな。

 でも、そういう意味ではアニメはまだまだ自由だと思う。今月初旬にシーズン1の最終回を迎えた『機動戦士ガンダム 水星の魔女』も、終盤の暴力的表現でかなり話題になったようですが……あれは、巨大ロボット兵器というものが、およそ実現しえないものだから、まだ許されている部分も大きいと私なんかは思うのです。

 原作者である富野由悠季監督も、かつて自動車メーカー・ホンダが開発した人型ロボットを見たとき、「僕は地獄を見た想いがしました」と語っていたのを覚えています。あれらはあくまでも絵空事のなかだから意味がある、それでいて成り立つものであって、それを現実に持ってきてしまうのはとても危険なことだ――これは当時の月刊ニュータイプ誌上で監督が語っていたのを記憶しています。あれの出現はそれぐらい、創作者にとって「想定外の事態」だったんですね。

 なので、「オウム真理教」の出現も、想定しなかったれレベルの「事件」だったんだと思います。人間の歴史って、本当に躍進がすごくて、ヴェルヌの小説『月世界旅行』なんてのも、それこそ後年のアポロ計画で実現しちゃってますし、考えれば考えるほど、現実は小説よりも奇なり――なのです。リアルは常に虚構を上回ってゆく……。

 そう考えると、今色々と言われているジュブナイル界隈のあれやこれも、いつかは……なんて思ってしまいませんか。その時代が来たときに、「これはきっとこの作品が元凶だ」なんて言われることのない、そんな作品作りの姿勢が――今後は求められるのかもしれません。どうかなー。

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