「はっきりと申し上げます。私どもはお盆《ぼん》に一度でもいいから――揉みたいのです! 本物の御《お》|ぼいん《・・・》を! でなければ、死んでも死にきれません!」
ムンクの叫びみたいな悪霊《レイス》の悲痛な訴えだったが――
セロはじっと項垂《うなだ》れた後にぽりぽりと頭を掻いて、「はあ」とまざまざと息をついてみせてから、
「この悪霊……ここできれいさっぱり浄化しちゃおうか?」
と、玉座の間にいた皆に声をかけた。
もちろん、セロはすでに呪いによって反転してしまったので光の魔術や聖なる法術は使えないのだが……アイテムボックスには冒険者時代に手に入れた物が幾つか残っていたはずだ。
とはいえ、意外なところから反論が上がった。何と、ルーシーだ。
「セロよ。おぼいんぐらい揉ませてやればいいのだ。何なら、妾《わらわ》がその願いを叶えてやってもいいぞ」
セロはギョッとした。
たしかにルーシーはどこか性に対してあけっぴろげ――いや、むしろ無関心なところがある。実際に、セロと初めて出会ったときもパンツ丸見えで、倒れていたセロの頬を棒先でつんつんしてきたくらいだ。
だが、今となってはセロにとって誰よりも大切な同伴者《パートナー》だ。そんなルーシーの胸を揉ませるわけにはいかないと、セロが猛反対しようとしたら、
「大変申し訳ありませんが……ルーシー様はちょっと……その、あのう……」
と、当の悪霊がルーシーのあまり豊かとはいえないおぼいんをちらちらと見ながら断ってきた。
これにはさすがにルーシーもかちんときた。セロの前に進み出て、玉座の間に控えていた付き人ことダークエルフの双子ディンに命令する。
「ディンよ! こやつを焼き払え。火と光で念入りにな!」
「は、はいっ!」
「ちょっと待って、ルーシー」
そこでセロが待ったをかけた。
悪霊の言い草にはセロも腹が立ったものの、そうはいってもこの悪霊は『迷いの森』の亡者の代表だ。たとえ無礼だったとしても、使者を焼いて帰したとなると、亡者たちと全面戦争になりかねない……
もちろん、セロたちにとっては取るに足らない相手かもしれないが、森内にはダークエルフの集落だってある。ダークエルフはすでに種として第六魔王国に恭順した以上、彼らにも迷惑がかかることも考慮しなくてはいけない。
特に、せっかくすくすくと育つようになったダークエルフの子供たちにこんな変態的な格好の悪霊たちを見せつけて、教育的に悪影響を与えてはならない。
だからこそ、セロは仕方なく、悪霊と妥協点を探ることにした。
「ええと……なぜ、おぼいんを揉まなくてはいけないのですか? そもそも、前代の第六魔王の真祖カミラは貴方がたに真祖トマトを供えてきたわけでしょう?」
「はい。実のところ、古《いにしえ》の時代にカミラ様の豊穣なおぼいんを揉ませてくださいとお願いしたところ……その氷の微笑だけで私の魔核は消滅しかけました」
「そりゃあ、そうでしょうね」
セロは相槌を打った。どうやら娘のルーシーと違って、母のカミラはあれだけ妖艶で奔放そうではあったものの、きちんとした常識を持ち合わせていたらしい。
「ただ、おぼいんを一度も揉まずに死んでしまった、汚れなき魂を持つ私どもに対して、最終的にカミラ様は同情くださって、大きな肌色の盆に真祖トマトを一つ乗せて、それをおぼいんに見立てて我慢しろと仰いました。それがお盆にトマトを供える習慣となったわけです」
セロはまた「はあ」と、ため息をついた。
真祖カミラが良かれと思ってやったことで、この地にそんな風習が根付いてしまったとは……
これならば亡者と全面戦争する王国のお盆の方がまだマシのように思えてきた……というか、これから毎年、セロもカミラに倣っておぼいんを模したお供えをしなくてはいけないのだろうか……
すると、悪霊はまたムンクの叫びみたいに嘆いてみせる。
「カミラ様は女王……なるほど。たしかに女性におぼいんを揉ませてほしいなどと嘆願するのは、いわゆる『セクシャルハラスメント』なる精神異常攻撃に当たるでしょう。しかしながら、セロ様は男性――私どものおぼいんを揉みたいという気高き理想をご理解いただけるのではないかと、こうして参じた次第なのでございます」
そう言って、悪霊は再度、恭しく頭を下げた。これにはセロも「あちゃー」と、片手を額にやった。
というのも、その願いが理解出来たからだ。かつてどこかの哲学者が語ったはずだが――『我おぼいんを想う故に我有り』。それは古《いにしえ》の時代の遥か以前より人族に継がれてきた真理だ。叶うことならば、セロだってルーシーのやや貧しいおぼいんをもみもみして我有りと実感したい……
だから、セロまで悪霊みたいに棄てられた子犬みたいなしょぼんとした目つきでもって、豊穣系おぼいんを誇るドルイドのヌフにちらりと視線をやるも、
「絶対に嫌です」
速攻で断られた。当然だろう。そもそもヌフは人見知りで、古の時代より引きこもってきたほどだ。誰かと積極的に触れ合う性格ではない。
次いで、セロはこれまた豊穣系おぼいんを誇る人狼のメイド長チェトリエに顔を向けるも、
「たとえセロ様のお願いだとしても……こればかりは」
これまた断られた。当然だろう。悪霊に触れられると、精神異常をきたすことがある。たとえ耐性があっても、積極的に触れられたくはない。とういか、たとえ魔族であっても、おぼいんを他者に触らせてもいいなどと言い出すのはどこか無頓着なルーシーぐらいしかいないだろう……
……
…………
……………………
はてさて、どうしたものかね、とセロがやれやれと肩をすくめていると――
そんなタイミングで「はい」と、手を挙げる者がいた。何と、意外なことにダークエルフの双子ディンだ。
「セロ様、よろしいでしょうか?」
「い、いいけど……いったい何だい?」
「ダークエルフに伝わる秘術なのですが、水魔術によっておぼいんを模す、『水風船』なるものがあります」
ディンの言葉を受けて、セロはそばに控えていた近衛長のエークに視線をやった。
「はい。たしかにございます。もとは我々の集落のそばで木の実などの採取をしていて、悪霊たちに襲われたときに囮として放つ魔術です。『水風船』を宙に漂わせると、悪霊たちはこぞって、そちらに夢中になるので集落では悪霊対策として推奨されています」
「へ、へえ……」
「そもそも、森内では火魔術は扱えませんし、木漏れ日も少ないので光系の魔術や聖なる法術も効果が薄くなりがちです。それに『水風船』ならば生活魔術の範疇《はんちゅう》で放てますので、ダークエルフの子供たちでも扱えます」
セロは「ふむふむ」と肯いた。何だか良いことづくめのような気がした。
逆に言うと、賢明な近衛長エークがこれまでなぜそんな『水風船』をセロに対して提案してこなかったのか、訝しむほどだった。
すると、やはりと言うべきか、エークも悪霊も揃って、困った表情を浮かべながらセロに進言した。
「ただ、セロ様。『水風船』は生活魔術程度のものながらも、水魔術に当たりますので――」
「はい。その通りです。私ども悪霊にとって水は禁忌なのです」
セロはそこでぽんと手を叩いた。
たしかにその通りだ。|生ける屍《リビングデッド》の屍鬼《ゾンビ》、屍喰鬼《グール》や骨鬼《スケルトン》などは実体を持つので火魔術が有効なのに対して、悪霊には効き目が薄く、むしろ水や光系に特攻が付く。
つまり、悪霊たちは水風船をおぼいんと見立てて触りたくとも、もみもみしたとたんにきれいさっぱり浄化されてしまうわけだ……
「あのぼよんぼよんとした『水風船』によって私どもの同胞たちがどれだけ浄化されてしまったことか……しかしながら、私どもはダークエルフを恨んではおりません。消滅する間際におぼいんに似たモノをもみもみ出来たのですから」
悪霊は「よよよ」と泣きながら、また自らの胸を揉みしだいた。
ここにきて玉座の間にはわずかな沈黙が下りた。やはり例年通りに肌色の大きなお盆に真祖トマトを乗せて我慢してもらうしかないんじゃないかなと、さすがのセロも結論付けようとした。そもそも、古の時代からずっとそうやってきたのだ。
そんなタイミングでまた、「セロ様、よろしいでしょうか?」と手を挙げる者がいた――人造人間《フランケンシュタイン》のエメスだ。
「要は、水魔術で練られた『水風船』なるモノをおぼいんに見立てた上で、水系の効果を打ち消せばよろしいのですよね?」
「うん。そうなんだけど……」
「ならば、簡単な話です。その『水風船』に混ぜればよいのです。もしくは『水風船』にちょこんと乗せればいいのです」
「いったい、何を?」
「土竜ゴライアス様の血反吐です、終了《オーバー》」
エメスが言うには、ゴライアス様の血反吐は土竜だけあって土系の効果らしい。
それを『水風船』の先に数滴乗せればいかにもおぼいんの|ちくびん《・・・・》に見える上に、血反吐の方が魔力《マナ》が強いので水特攻が打ち消されて、さらに泥で練ったことによって本物のおぼいんみたいに、もみんもみんな感触に近くなるはずだとのこと。
「おお! それは素晴らしいアイデアです!」
当然、悪霊は歓喜した。
実際に、この場で作成してみると、悪霊は浄化されずにおぼいんらしき感触を愉しむことが出来た。
「こ、こ、これが――おぼいん! もみもみ! おもみもみ!」
いっそ悪霊は永年の願いが叶ったことできれいさっぱり未練なく浄化しかけたが……
何にせよ、これにて第六魔王国のお盆《ぼん》は見事なおぼいんへと進化することになった。一方でセロはしばらく悩むことになる。お盆の時期におぼいんを模す、この変態的な風習を果たして残していいものかどうか……
ともあれ、王国にだって地方に行けば下世話なお祭りや風習があるわけだし……これぐらいならまあ可愛いものかと……結局のところ、セロはルーシーに隠れて、こっそりと泥風船《シリコン製おぼいん》をもみもみしながら愉しむのであった。
もっとも、後世、このお盆《ぼいん》が大陸各地に伝わって、おぼいん祭りへと発展するとはこのときセロも知る由もなった。
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明日、近況ノートで投稿する『おっさん』版の「お盆《ぼいん》」では、そんなおぼいん祭りが描かれます。大事なことなので二度言います。おぼいん祭りです。何卒、よろしくお願いいたします!