なんか詩集を、そう、詩集を読んだんです。ついったでみんなが褒めてたから、そんなにすごいのかなって思って。私の本棚にある詩集と言ったら「わたしと小鳥と鈴と」くらいで詩について語れる含蓄もなければ情熱もないんですが、なんでそんなことを思い立ったんだろう。あ、北原白秋の訳したマザーグースもあります、そういえば。でもこれは詩集にカウントするには変ですよね。
でまぁ、読んだんです。せっかく買ったから。
「グッドモーニング」最果タヒさん。
タヒるのタヒですよね。なんてことだ。
読んだらやっぱり感化されて、なんかそういうの書きたいなって思って
まぁだから熱に浮かされて書いたみたいな短編を上げたんですけど
そのうち冷静になってすぐ消すかもしれない。昔(今もか)くせだったんですよね、こういう文章を書くの。自分さえわかればいい、みたいな内容を書くのって十代。って感じしますよね…。体験を一般化する知識がないからすべてがパーソナルな空間に終始してしまう。みたいな感じないですか思春期の文章には。自分だけかな…。
十代の頃なんて端的に言ってくそですよね(一般論じゃないよ、極めて個人的なはなし)。頭も悪いし、経験もないし、ろくでもないなぁ。でもはたちになるまで。そう決めて、とにかくなんでも書きなぐっていた時期でもあって。そういう熱というか病気の感じを思い出させてくれる詩集ではありました。痛い。熱い。膿む。
久々に「月と負け犬」とか聞きたくなりましたよね…。
こないだ九月が終われば俺を起こしてっていう歌がラジオで流れてて、それって中学生の頃聞いてた歌だったんですが、久々に聞いてたらなんか泣けてきて、ああ、あの頃の私はまだ自分の中に残ってるんだろうなぁって思えて元気でました。一時期恥ずかしくて聞けない時期があって。でも、そんなふうに昔の自分を殺しにかかるよりは、こんな感じでときどき寄り添える距離でいたいなって思いました。
で、さっきとぅげったで見たんですけどなんかあれらしいですよ。女性が男性を嫌いになるとき好きだった長所もまた嫌いになるらしいです。
やさしい→優柔不断 おもしろい→落ち着きがない
わかりみがふかい。
そしてごうがふかい。
身近に今の知識を持ったまま十代に戻ってやりなおしたい。って言ってる女性がいて、それって現代の知識をもったまま異世界に転生して無双。っていうのとすごく似た感覚だなと思いました。