僕は今でこそ、アニメ! 漫画! ラノベ! エロゲ! Vtuber!
みたいな感じの幅広いオタクなんだけど、昔はそれはもう大層な本の虫だった。というか、純文学マニアみたいなところがあった。
小学生の頃からもっぱら純文学を読み漁り、一方で友達と一緒にゲームをするという生活をし続けていた。今にして思えば、あの頃読んでいた文学作品を理解できていた自信はこれっぽちもない。
大人でも理解に苦しむ作品が多い純文学を、小学生が理解できるわけもなかった。
実際、純文学の著者達は別に理解されようと思って書いていないだろう。良くも悪くも独善的な文章で、だけどそれがかえって読者の心を掴むんだよね。読めば、作者のことがなんとなく見えてくる。この人は偏屈で、この人は哲学志向のクソ真面目で、みたいな。
そういう分析が、なんとなく面白かったのを覚えている。
そんな僕も、中学にあがった頃にオタクになっていた。
ライトノベルにハマったきっかけは、友達だ。友達が勧めてくれた『ウィザーズ・ブレイン』というラノベを読んで、ドハマリした。気がつけば、姉が勧めた作品以外の深夜アニメもたくさん見るようになり、『けいおん!』にハマってオタ道を一心不乱に突き進む。
この頃、僕がハマッていたのは「物語」というコンテンツ全般だ。
純文学は文学ではあるけれど、物語かどうかと問われるとちょっと困る。
物語として良く出来ているかと問われると、もっと困る。
別に物語じゃないと断言したいわけじゃないし、物語として出来が悪いと言いたいわけじゃないんだけど、その逆も断言できない。
僕は、物語は伝えるものだと思っている。
大昔はそれこそ口伝で、後世に残ったり広まる過程で話が改変されたりしつつ色々な物語が人々に伝えられてきた。紙を用いるようになって改変はされにくくなり、物語はより人々に伝わるようになった。
物語というのは、文字通り語るものだ。
そこには必ず、物語を受け取る人間がいる。
僕が当時ハマッた物語というのは、誰かが明確な意志を持って、また誰かに伝えようとして作られたものだ。
ラノベはターゲットの中高生を意識した物語構成になっていたり、文章構造になっていたりする。言葉はなるべく平易なものを選んでいるし、読み方が難しければルビを振る。
そうして、なるべく多くのターゲットに伝わるように気を遣って作られている。
アニメもゲームも、そうだ。
僕はきっと、純文学の文学性が好きだったわけじゃないんだと思う。作品を通して作者の物語を読み解こうとしていたのが面白かったのであって、結局僕は文学性より物語性が好きだったんだ。
だから、純文学マニアからオタクにクラスチェンジしたんだと思う。
アニメもゲームもラノベもエロゲも、物語の媒体だ。もちろん、ゲームは作品によってはストーリー皆無なこともあるから一概には言えないけどね。
ただ、僕がハマッたゲームは物語性が強いものが多い。
結局のところ僕は、物語オタクなんだと思う。
それはそれとして、作者の物語を分析したいというところも受け継がれたままなんだろう。だから、作者の性癖が透けて見えるような作品が好きだし、制作者の熱量がうかがえる作品に出会うとニンマリとする。
物語を伝えられたまま受け取ることも、そこから分析して読み解こうとするのも好きなんだろう。
ここまで書いてきた内容を要約すると……。
いえーい! 物語って最高だぜー!